Heimat6-1

 リベルタス、東北部に位置する港街ガサールト。人口二千人足らずの小さな街だが、首都に近く、交易の経由地として栄えている土地だ。船着場には上下に揺れる貿易船の他に、おそらく個人の道楽で購入したであろう白いヨットも数隻混じっている。陸の方に目を向ければ、白基調のそれなりに大きな石造りの邸宅がずらっと並んでいた。その景色が比較的豊かな街だというのを示している。
 磯潮の香りがする風、砂浜に寄せては返す波。上空で魚を狙うカモメの群れ。海と共にある土地と言えば浮かぶ風景が、確かにここにもある。だが、せっかくの情緒溢れる光景も、街中に響き渡る男たちの怒声や罵倒、ひっきりなしに聞こえる銃声で台無しにされてしまっていた。
 けれど、街の住人はこの物騒な物音に、少しも動じることはなかった。彼らにとっては家畜の鶏が目覚まし代わりに鳴くように、日常茶飯事のことだったからだ。しかし、慣れているとはいえ、いつもならすぐ静かになるはずが三十分以上も騒がしいままとなると、流石に不審感を抱く。
 いやがおうでも耳に入ってくるどたばたとした複数の足音と男たちが叫んでいる台詞から考えると、どうやら誰かが大勢の人間に追われているらしい。そして、いまだ男たちはその誰かを捕らえられていないようだった。
 とはいえ様子が気になるからと、窓から外を絶対に覗いてはならない。というか、窓に近づくことすらしてはいけない。それが住人の共通認識だ。うっかり流れ弾に当たってあの世行きになったなどという冗談にもならない話は、割とそこらへんに転がっていた。
 なので、街の人々に出来ることと言えば、騒ぎが収まるまで家の中で待つしかない。外に出られないと生活に支障をきたすので、早いとこ追われているだろう人間が無事逃げ切るか、捕まるか、撃ち殺されるかしてくれないものかと、皆がため息を付きながら考えていた。

 住人が自宅で憂鬱な一時を過ごしている中、外では機関銃や短銃を手に持った黒いスーツを着た、いかにもな男たちが街中を彷徨いていた。
 彼ら全員が注意深く辺りを観察し、時折建物の中や狭い路地裏を漏れなく覗き込んでいる。野良猫一匹逃すまいとするような執拗な捜索。並々ならぬ執念を感じさせる追跡者たちは、血走った目で目標の姿を探す。
「おい、居たか!」
 建物の影から現れた別の男が、仲間たちの方へやって来て尋ねる。だが、問われた方は皆首を振った。
「いや、見てない。さっき向こうの方で銃声がしたから、あっちらへんにいるんじゃないのか?」
 男が波止場付近を指差す。
「なら、そっちを見てみるか」
 その言葉で、黒スーツの面々は一斉に波止場の方へと走り出した。
 途中、その内一人が苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをする。
「にしても、不愉快にも程がある奴らだ。まさか、向こうからやって来るとは」
「ここがどんな街か知らねぇ訳がないだろうにな」
 まったくふざけてやがると他の男が吐き捨てた。
 彼らにはずっと追い続けていた人物がいた。そのターゲットが今日、ここガサールトに姿を現し、街を上げての大捜索となったわけだが。
 その実、男たちにとってはまったく予想外の事であった。なぜなら、まともな頭を持つ人間なら、この場所を徹底的に避けるに違いないと踏んでいたからだ。だが、奴らは避けるどころか、堂々と真正面からやって来た。
 よほどの命知らずか、救いようのない馬鹿か。もしくはその両方か。まあ、そもそも彼らが探している人物が追われることとなった切っ掛けの出来事からして、命知らずで救いようのない馬鹿だと言わざるを得なかったのだが。
「だが、奴らもさすがにこの街からは逃げられねぇよ。袋の鼠だ」
 機関銃を握り締め、男が口元を卑しげに歪める。他の男たちもその台詞を聞いて、同じようにニヤリとした。
「そうだな。これでやっとあの胸糞悪い面を見なくてすむ」
「ボスの機嫌もようやく良くなるだろうしな。まだ、仕留められないのかって、ボスが日々怒鳴り散らすもんだから、あいつらの顔が夢にまで出てきたよ。実物は見たことないって言うのに」
 それは悪夢だなと、周りからゲラゲラと笑い声が上がる。
「よし、さっさとあいつら仕留めて、祝杯のビールでも飲もうじゃねえか」
 あるものを親指で指し示し、一人がそう言うと、周りから威勢のいい返事が上がった。
 士気を高める彼らの視線の先にあったのは、壁に張ってあった一枚の紙。同じものが等間隔に街中の壁という壁に貼られている。紙に書いてあったのは『WENTED』の文字と二つの似顔絵――空色の髪の青年と黒混じりの茶髪の男の顔であった。



 波止場近くの住宅地。男たちの駆けずり回る音と怒鳴り声が一際煩く響く。
「おい、居たぞ。こっちだ!」
 同じ黒スーツの、先ほどとは別の男が大声で仲間たちに合図を送る。その声に、数人の男が一斉に集まってきた。
「どこ行った!?」
「多分、そこら辺の路地裏に逃げ込んだはずだ」
「よし、挟み撃ちにしよう。お前らは裏を回れ」
 一人が仲間に指示を出す。それに従い、数人が建物の反対側の方へと駆け出した。
「行くぞ。絶対に逃がすなよ」
 じりじりと慎重に路地裏に忍び寄る男の目は、逃げた鼠を追い詰める獣のようにぎらついていた。


 一方、薄暗く一人通るのがやっとという極狭い、道というよりも家と家の隙間と言った方が近い場所に、その二人の男はいた。
 この街に居れば腐るほど見飽きた紙の似顔絵とそっくりな蒼髪の青年アーロンが、若干むすっとした表情で後方を振り返る。
「ユーキ、そろそろ行くぞ!」
 後ろにいたのは、アーロンと共に紙に描かれた似顔絵と同じ茶と黒のツートンカラーの髪を持つ男ユーキ・シラサギだった。動くようせっつかれたが、彼は両肘に手を乗せ、肩で息をしたまま、一歩たりとも足を踏み出す様子はない。
「もうちょっと、待って下さい。今は、マジで無理です、てっ」
 呼吸を乱し、途切れ途切れにユーキがそう口にする。その顔は本当に苦しそうだった。
「えー、いつまで休んでるんだよ。早くしないと、またあいつらが来るぞ」
 汗一つかいてないアーロンは明らかに不満げだ。誰のせいだと言わんばかりに、ユーキの眉間に皺がよる。
「そりゃ分かってますけど、もう三十分以上も走りっぱなしじゃないですかっ。もう本当限界です!」
 二人はガサールトに足を踏み入れた途端、黒スーツの連中に即刻見つかり、ずっと追い掛け回され続けていた。今は路地裏に身を隠し、身体を休めていた所だった。
 実はユーキにはこの事態が予測していた。そして、それを回避する道もあった。ならば、なぜ出来なかったのか。理由は一つ。いつでもとこでも良からぬ災いをユーキにもたらす、己の主人のせい以外にない。
「だいたい、おれ言ったでしょ。この街には来ちゃ駄目だって」
 ガサールトを訪れる前、二人はとある事でも揉めた。ユーキはこの街を避け、別の道を通るべきだと強固に主張したのだが、アーロンが頑として拒否したのだ。この場合、どんなにユーキの言い分の方が理に叶っていても、彼の意見が通った試しは一度もない。結局、アーロンに押し切られ、街にやって来た結果がこのざまである。
 苛立ちを隠そうともせず、愚痴を零す下僕。しかし、いつものごとく当の本人にはまったく届かない。それがまた腹立たしかった。
 本当に一刻も早くこの男の下僕止めて自由になりたいと、密かに願っていた――その時だった。
「見つけたぞ。テメエら! 今度こそ、地獄へ落ちやがれ!!」
 鬼のような形相で現れたスーツの男が、機関銃を二人に向けて構える。
「ぎゃー! 見つかった!!」
「……あーあ、また出てきた」
 自分たちの追っ手の姿に、ユーキは悲痛な悲鳴を上げ、アーロンは心底げんなりした顔をした。
「死ねぇ!!」
 スーツの男の叫びと共にサブマシンガンが火を噴き、弾丸の嵐が襲いかかる。しかし、一発たりとも当たらない。アーロンの持っている能力で、まるで見えない透明の鎧に囲まれているかのように、弾は二人から逸れていく。
 この力はアーロンの傍にいれば、ユーキにも適応される。だが、それが分かっていても、近距離でマシンガンを掃射されれば肝が冷えると言うものだ。平然としているアーロンの傍で、ユーキは反射的に短い悲鳴を上げ、身体を縮こませた。
「くそ、この化物めっ」
 通常では有り得ない光景だが、スーツの男にそこまで驚愕した様子はない。まるで、予め相手の魔化不思議な力を知っていたかのように。
 全弾撃ちつくし、悪態をつくと急いで弾倉を取り替える。
「行くぞ、ユーキ!」
 その隙にアーロンが男とは反対方向に走り出した。
「えぇ、ちょっと待って下さいよ!」
 慌てて、ユーキも後を追う。アーロンから離れてしまうと、彼のバリアのような力はユーキには効かなくなってしまう。それを過去の経験から知っていたため、絶対にアーロンから離れる訳にはいかなかった。
「逃がすか!」
 逃げる主人と下僕に、逃すまいとぴったり後ろに付いてくる追跡者。もう少しで路地から出ようかという時だ。
「こんな所にいやがった。ちょろちょろと逃げ回りやがってっ」
 路地の出口にまた別の追っ手の姿。挟み撃ちにされてしまった。
「邪魔!」
 アーロンは左足で地面を強く蹴り出すと、高く飛び上げる。そして、路地を通せんぼしている男の顔面に、思いっきり靴底をめり込ませた。蛙が潰れたような声が漏れ、男はそのまま後ろへ倒れこみ、仰向けに寝転がった。顔の中央にはしっかりとアーロンの黒い足型がついた男の身体をひょいっと飛び越え、ユーキは主人とともに波止場へと出る。
「早く来い、急げ! 奴らを見つけた!」
 しかし、直ぐに大声がしたかと思えば、大勢の靴音が二人の耳に入ってきた。
 勘弁してくれと嘆きたくなるぐらい、もう見たくはない黒スーツが建物の陰から現れる。一人出てきたと思ったら、その数は続々と増えていった。
「撃てぇ!!」
 男たちが一斉に発砲する。だが例によって、アーロンたちには一発も当たらない。弾は目標から外れ、あさっての方向へと飛んでいく。
「もうしつこい!!」
 同じことの繰り返しに、いい加減アーロンもいらいらが募る。傍にあった船の積荷だろう2m四方の木箱を片手で持ち上げると、黒スーツ達に投げつけた。見事に木箱は敵の何人かにヒットし、彼らをなぎ倒す。箱は粉砕され、木の破片が辺りに散らばるのと同時に、中に入っていた大量の袋が破けて白い粉が空中に舞う。偶然にも粉が白い煙幕となって、
男たちを覆い、視界を遮った。
 これ幸いとアーロンたちは再び逃走を開始した。しかし、逃げようとした先にもまた別の黒スーツの軍団が行く手を遮った。
 仕方なく二人は方向を変え、脇道に入る。
「この野郎、待ちやがれ!!」
 街のあちらこちらを走り抜けるアーロンたちの背に罵声を浴びせ、銃を乱射させながら、躍起になって男たちが追う。
「何なんだよー。どこ行っても同じような奴がいるし!」
 うんざりしたような声を出し、アーロンが文句を垂れる。最初のうちは自分たちを襲ってくる黒スーツの連中を一人一人倒していたのだが、いくら倒しても何処からともなくまた別の同じ服をした面々が際限なく現れる。まったくキリのないその繰り返しに嫌気がさし、結局逃げることを選んだのだった。
「だから、言ったでしょ! やっぱり、ここへ来るべきじゃなかったんですよ!」
 アーロンの愚痴に対し、ほら見たことかと言わんばかりにユーキが再度同じ恨み言をぶつけた。
「仲間の故郷がここにあるかもしれないのに、来ないわけにはいかないだろ!」
 だが、ガサールトに行くか行かないかで揉めた時にも言った台詞を、アーロンは口にする。
 二人の旅の目的は、かつてアーロンと共にいた今は亡き仲間の「故郷」を探しだすことだ。「故郷」に関する情報は驚くほどない。海沿いのどこかの街にあるらしいという事ぐらいしか分かっていなかった。当然、港街であるガサールトもその条件に合致する。
 可能性がある以上は街を避ける訳にはいかないというのが、アーロンの主張だった。だが、ユーキはそれを否定する反論を持っていた。
「絶対ありえませんよ! だって、ここは……!」
 ちらりと後ろを振り返る。視界に入ったのは、先程よりもさらに数が増えた黒スーツの軍団。
「ゴルゾア・ファミリーが完全支配している街なんですから!!」
 ユーキの絶叫が木霊した。
 ゴルゾア・ファミリーは数あるマフィアでも、特に巨大な勢力をもつ組織だ。彼らはとあることでアーロンとユーキと揉め、二人の首にそれぞれ1億と100万の懸賞金を掛け、指名手配したという因縁を持っていた。
 そして、ここガサールトはゴルゾア・ファミリーのボスが居住し、本部を置いている所であり、全人口の三分の一がその関係者という、まさに彼らの街と言っても過言ではない場所であった。
 そこに現在ゴルゾア・ファミリーの最大の標的となっている二人が現れた結果、こんな大騒動になっている。
 どう考えても、物騒極まりない街が探している「故郷」とかのはずではない。それがずっとユーキが訴えていた事だった。
「だって、ちゃんと行ってみないと、故郷かどうか分からないじゃないかっ」
 しかし、アーロンはなかなか自分の非を認めようとはしない。すかさず、ムッとして言い返す。どんなに人並み外れた強さを持っていても、彼の頭と中身は所詮お子様なのだ。
「でも、結局違ったんでしょ?」
「うん」
 ただ、お子様故に非常に素直ではある。ユーキの言葉にあっさりと頷いた。
「ほら、やっぱりそうだったじゃないですか!」
「煩いっ。下僕のくせに生意気だぞ!」
 下らない口論をしつつ、尚も主従二人はひたすら走る。入り組んだ路地を右へ左へと曲がり、追っ手を振りきそうとするが、行く先々でまた新たな黒スーツたちに出くわしてしまう。穴から這い出てくる蟻のようにうじゃうじゃと湧き出てきて、二人を追ってくる人数は逆に膨大な数に増えていった。
「もう、やだ! 逃げるの飽きた!!」
 ぞろぞろと後ろを付いてくる男たちとの鬼ごっこに、とうとうアーロンがキレた。狭い脇道に入り、一瞬黒スーツたちの視界から外れると、アーロンはユーキの腰に手を回し、小脇に抱える。
「え? ちょっと、アーロンさん!?」
 急に身体が宙に浮き、四肢を揺らすユーキが戸惑った声を出す。だが、それを無視し、アーロンはその場でジャンプした。建物の隙間から空と同じ色の髪と男とそのおまけがロケット花火の勢いで宙へと飛び出す。そのまま近くの屋根に着地すると、アーロンはユーキをそっと降ろしてやった。

「おい、いないぞ!」
 アーロンたちが逃げ込んだ通路を覗き込んだ、黒スーツの一人が声を上げる。あるはずの姿がそこになかった。
「そっちは!?」
「いや、まだ来てない!!」
 道の反対側を探していた仲間に問うが、向こうも困惑した表情を見せる。他の人間にも確認したが、似たり寄ったりな反応しか来なかった。間違いなく、奴らはこの道に入った。それから数秒しか経っていないのだ。この大勢の人間をかいくぐって逃げおおせることなど、まず不可能なはず。なのに、ターゲットは忽然と姿を消してしまった。
「よく、探せ! 絶対にまだ近くにいるはずだ!」
 黒スーツ達はアーロンたちが消えた近辺を隈なく捜索し始める。けれど、探している人物が頭上に居るということが微塵も頭にない彼らに、二人を発見することなど出来るはずがなかった。




「おっ、やっとあいつらがどっか行ったぞユーキ!」
 屋根に腰を下ろし、ずっと下を見ていたアーロンが、黒スーツの姿が見えなくなったことを嬉しそうに報告する。
「そうですか、よかったですねー。はぁ……」
 ずっと逃げ回り続け、心身ともに疲れきったユーキは気のない返事をすると、ごろんとその場に寝っ転がった。
 なぜ、街を普通に訪れただけで、こんな修羅場を経験しなくてはならないのか。スリルと刺激ある生活など、ユーキは1mmたりとも望んではいない。
 ぼんやりと眺める空は清々しいほど真っ青で、白い雲が形を変えながらゆっくりと流れている。さらには心地よい風が吹き抜ける中を、鳶が機嫌良さそうな鳴きながら、優雅に旋回していた。忌々しいほど平和な図だ。
「平穏に暮らしたい……」
 しみじみと万感こもった、小悪党が言うなと突っ込まれそうな望みを人知れず呟く。
(別に広くも新しくもなくていいから、自分の家持って、でかい本棚と大量の本を買うだろ。んで、静かに読書でもして、のんびりと一生過ごせねぇもんかなぁ……)
 しばらくの間、意外と質素でささやかな夢の妄想に浸っていたが、「おい、ユーキ!」と自分を呼ぶ声に現実に引き戻された。
「何か、変な奴がいるぞ!」
 飽きもせず、地上を観察していたアーロンが手招きをし、こっちへ来いと促す。
「変な奴……?」
 気だるそうに身体を起こし、ユーキは四つん這いで彼の傍に行く。「ほら、あれ」とアーロンの指さした先を見た途端、瞬時に顔色が変わった。ぎょっとして、屋根から身を乗り出し、下を凝視する。
 そこにいたのは列をなし、街を闊歩する男たち。
 同じ服の集団という意味では、ゴルゾア・ファミリーと変わりないものだが、彼らが着ていたのは黒スーツではなかった。黒と白が基調となっており、左上半身と右下半身の黒い部分に紺のストライプが入った、独特の柄の制服のような衣装。足並み揃え、行進する姿は統制の取れた軍隊を連想させる。
 ユーキにはその正体がすぐに分かった。ゴルゾア・ファミリーとは別の意味で、絶対にお近づきになりたくない連中だ。
「剣と盾じゃねぇか……」
「剣と盾?」
 聞き馴染みのない言葉に、アーロンが首を傾げた。
「ああ、アーロンさんはまだ見たことありませんでしたっけ」
 物心着く前から地下で暮らし、地上へ出てきたのはたった一年前という特殊な生い立ちを持つアーロンは非常に世間知らずだ。物を買うのにお金が要るということすら、最初は知らなかったくらいに。
「剣と盾っていうのは世界にある13の国の内、12の国が協力して作った組織の俗称です。『平和のために盾を構え、自由のために剣を取れ』という設立当初のスローガンから呼ばれるようになった名らしいですけどね」
 なので、ユーキが自分の持っている情報を彼に伝え始めた。
「元は別の目的のため作られたんですが、どの国の警察もマフィアとの癒着とか何やらでまったく役に立たないせいで、今では使えない警察連中の代わりにマフィア絡みとか他の凶悪犯罪とかを取り締まる役割を担っています。本部はリベルタスの首都『ユースティア』にあるので、今いるのは支部の奴らだろうと思うんですけど……」
 話を聞いていた相手の眉と口が段々とへの字に曲がっていく様を見て、ユーキは一旦解説をそこで切る。アーロンの頭には沢山の?マークが乱舞していた。
「……分かります?」
「さっぱり分からん」
「でしょうね」
 一応説明してみたものの、向こうが理解してくれるとは最初からユーキも思っていなかったし、別にそれでも構わなかった。剣と盾に関し、アーロンに知ってほしいのはただ一つだけだ。
「とにかく、出来るだけあいつらに関わっちゃならないって事だけ、分かってくれればいいですよ」
 世界の秩序を守る働きを持つ剣と盾と小悪党。仲良くやれる訳がないのは自明の理である。ある意味ではゴルゾア・ファミリー以上に敵に回したくない存在だ。絶対にアーロンが余計なことをしないよう、あらかじめ釘をさす。
「分かった」
 忠告にアーロンが素直に頷く。果たして、この天性のトラブルメーカーにどれほどの効果があるかは疑問だが、後は祈るしかない。
 剣と盾についてアーロンに言うべきことは言ったが、ユーキには一つ疑問に思っていることがあった。
「にしても、あいつら何しに来やがったんだ。まさか、ゴルゾア・ファミリーと全面戦争でも起こす気じゃねぇだろうな」
 ゴルゾア・ファミリーはリベルタス内で一、二位を争う強大なマフィアである。いかな剣と盾といえど、容易に手を出せる相手ではない。これまで下手に刺激して、大事になるのを避けてきたぐらいだった。
 なのに、よりによってゴルゾアの本拠であるこの地に、大勢の剣と盾の人間が乗り込んでくるとは。ボスがいい気がしないのは分かっているだろうに。
 ゴルゾア・ファミリーに対する何らかの威嚇をしに来たのか。流石にないとは思うが、まさか本当に奴らをぶっ潰しに来たのか。
 真意は測りかねるが、ユーキにしてみればどの道あまり好ましい状況でないことには違いない。なんぜ、ゴルゾアと剣と盾の双方が、大量にガサールト内を徘徊しているという事には違いないのだ。
(早いとこ、この街から離れた方がいいなこりゃ)
 探している「故郷」がここではない以上、もうガサールトに留まる理由はない。早々に決断を下した。
「アーロンさん――」
 自分の主人に街から出ていこうと訴えようとしたが、当の本人の自己主張激しい腹の虫の鳴き声に遮られてしまう。
「腹減ったっ、飯!」
 耳にタコが出来るくらいよく聞く台詞がでた途端、ユーキの顔が露骨に歪む。
「別の街に着いてからにしません?」
 無駄とは知りつつも、取り敢えず提案してみたが……。
「おれは今、食いたいんだ!」
 いつもの癇癪を起こし、我が儘主人がバンッと両手で屋根を叩く。途端に石でできた屋根全体にひびが入り、叩きつけられた場所には手形の穴がぽっかりと空いていた。
 腹を好かせたアーロンは、ゴルゾアよりも剣と盾よりも凶暴かつ危険な存在である。その事が身に染みているユーキに、主人に逆らうだけの蛮勇は持ち合わせていなかった。





 こじんまりとした酒場、昼飯時で多くの人間がごったがえしている。騒がしい店内の中、賞金首の二人は堂々とテーブルに座っていた。外にはまだ自分たちを血眼になって探す、ゴルゾア・ファミリーの構成員がいるというのに。
そんな中でのんびりと食事している自分たち。もう馬鹿を通り越して、この男の頭はスポンジで出来ているのではないか。
 ユーキはじとっとした目つきで、向かい側に座っている男を見やる。
 だが、アーロンは皿の上で肉汁が弾け、とろけたチーズが乗せられたハンバーグに目を奪われており、非難がましい視線にはまったく気づかない。喜々として、ハンバーグを口いっぱいに頬張っていた。
「食べないのか?」
 アーロンはゴルゾア・ファミリーよりも、ユーキの前に置かれた全く手の付けられてないサンドイッチが気になったようだ。不思議そうに尋ねる。
「食欲ないです……」
「え? どっか調子悪いのか!?」
 アーロンには飯を食わないという選択肢が存在しえない。よって、彼の中で食べる気がないということは、異常事態に繋がる。即座に声を荒らげ、ユーキの身を心配した。
 短絡的な主人に、下僕はほとほと呆れたようにため息をつく。
「違いますよ。ゴルゾアの奴らが気になって食事どころじゃないだけです」
 散々動き回ったので、腹は減っている。だが、いつあの黒スーツに見つかるかという不安と恐怖が石となって胃に詰まっているような感覚がして、何も口にする気になれないのだ。
 キョロキョロと忙しなく辺りを見回す。黒スーツたちも追われている人物が、こんな場所で呑気に食事しているとは思ってもいないのだろう。幸いにも室内に彼らの姿はない。だが、被害妄想のせいだろうか。カウンター内で従業員が自分たちを見て、何やら密かに話しているような気がしてならなかった。
「アーロンさんの、命を狙われてる中でも堂々としてられる無神経さが今は羨ましいです」
「? お前みたいにびくびくしてた方が、逆に奴らに見つかりやすいんじゃないのか? 目立つし」
 落ち着きない心を紛らわせようと、ちくちくとした嫌味をアーロンにぶつける。しかし、相手から返ってきた悪意なき反撃にぐっと言葉が詰まった。
(アーロンの癖に正論を……)
 だが、確かに一理ある。怯えるあまり不審な行動を取れば、人目を引くのは当たり前だ。
案外、自分が思うほど人は他人を気にしないものである。この場では普段通りにしていた方が賢い。
 それは十分承知しているのだが、どうしても人の視線がこっちに集まっているような気がしてしまう。その原因の一つに、彼のある外見特徴が関係していた。
(この髪がなぁ……。どうしても目立っちまうんだよな)
 己の前髪を掴み眼前にかざすと、憂鬱そうに息を吐いた。この世界では茶髪の人間は非常に珍しい存在だ。さらにユーキの髪は黒も混じったツートンカラー。黒髪は茶よりもさらに希少で、前に読んだ本には全世界の人間の0.01%もいないと書いてあった。彼は滅多にお目にかかれない二色の髪の持ち主という訳である。同じ色を持った人間は、身内以外で今まで会ってことがない。
 つまり、顔立ちはごく平凡なのに、髪の色が彼の強烈な個性となってしまっているという、有り難くない状況なのであった。
 なら、染めればいいのではないかという話だが。ユーキはどうもそれに消極的だった。
 髪染めもカツラも高いからという、守銭奴ならではの理由もある。だが、一番大きな理由は、昔若気の至りで髪を真っ赤に染めたら、知人に似合わないと散々爆笑されたのがけっこうトラウマになっているからという、彼の黒歴史にあった。
 考えてもみなかった遺伝の災いにユーキが思い悩んでいる最中、空いている後ろの席に二人の男がやってきた。横に幅広い男と縦にひょろ長い男の両極端な二人組だ。
「ようやく、飯にありつけるぜ」
 太っている方が席に座り、ふうと息をつく。
「ゴルゾアの連中、やっと大人しくなってくれたもんな。やっぱりあれかね。剣と盾が来たせいか」
「だろうな」
 太った方はメニューを見ながら、注文を取りにきたウェイトレスとやり取りし始める。痩せている方は用意された水に口を付け、ふと外を見て呟いた。
「しかし、珍しいな。剣と盾がここに来るの。ゴルゾアと何かあったんか?」
 その疑問を聞いた、料理をオーダーし終えた太った方が真剣な顔をしてそっと囁いた。
「あー、実はその事なんだがな。ほら、おれ一応警察官だろ。この街じゃまったく役にたってねぇけど。それでも剣と盾とは一応協力関係にあるから、情報は入ってくる訳よ」
 太った方は辺りを警戒しながら、さらに声を潜めて言った。
「どうやら、本気でゴルゾアの掃討作戦を行うんだってよ」
「マジで!!」
 衝撃的な情報に、痩せた方が大声で叫ぶ。慌てて、太った方が「しっ」と口元に人差し指を当てた。
「声がでかい。もし、奴らに聞かれたらどうする」
 外をちらっと伺いながら、太った方がたしなめる。幸い、窓の外に黒スーツの姿はなかった。
「悪い……。でも、それ本当なのかよ」
 声の音量を落とし、再度痩せた方が聞き直す。にわかには信じ難い話だった。
「ああ、本当だ。何でも帝国が怪しい動きをしてるらしくってな。剣と盾としてはそちらから目を離せない。しかし、そっちに集中するにはマフィアの存在が邪魔だ。だから、これを機にマフィアの排除に当たることにしたんだと。そして、手始めに選んだのがゴルゾア・ファミリーってわけだ」
 太った方は事の経緯を話して聞かせた。
「なるほどな、そういう事情が。でも、よくゴルゾアに手を出す気になれたな。今の今まで散々尻込みしてたのに」
「まあ、何だかんだでリベルタス内の四大マフィアに数えられるぐらいには強い力を持ってるからな。でも、先日奴らの支部が潰されて、ボスの息子が捕まったろ」
「ああ、何か街中に貼ってある手配書の二人組に襲われたんだっけか。これも信じられない話だけど」
「それでかなりゴルゾアもガタついてな。その隙に一気に叩いてしまえってことらしい」
 まさか、自分たちのすぐ近くに話題に上がった人物がいるとは露知らず、二人は話を続ける。後ろの席から誰かが咳き込んだような音が聞こえたが、特に気にも留めなかった。
 だが、実はその会話を真剣に盗み聞きしている人物がいた。飲んでいたコーヒーで咽せ、ユーキは口元を拭う。
 それにしても、まさか本当にゴルゾア・ファミリーを潰しにきたとは。しかも、そのきっかけを作ったのは自分達である。さすがに驚きが隠せなかった。
 さらに詳しい事を探りたいと、ユーキは密かに太っている方と痩せている方の話に耳を傾けた
「そういう事か。けど、弱体化したとは言え、腐ってもゴルゾアだぜ。剣と盾もえらく強気だよな」
「強気になるにはなるだけの訳があるんだよ」
 痩せた方の意見に、太ったほうがやけに勿体ぶった言い方でそう返した。
「荒くれの獅子がこっちに帰ってきたそうだ」
 その言葉に痩せた方が「あっ」と声を上げる。
「荒くれの獅子って、あの剣と盾の最強の男だろ! 噂だけは知ってるぜ」
 ユーキも話だけは聞いたことがあった。
 剣と盾の最強戦力と謳われ、それに似合うだけの強大な力を持つ。その男一人で一旅団並みの戦力に値するという伝説を持っている人物だ。裏の世界で最も恐れられている人間の一人でもある。悪党でその名を知らないものはまずいなかった。
「そうだ。その『荒くれの獅子』である西尾鉄嗣が今回の指揮を取る。まあ、十中八九剣と盾が勝つだろうさ」
「そうか。なら、これでゴルゾアも終わりかもな」
 まだ、決着もついていないのに、太った方も痩せた方もゴルゾアの滅亡を予感していた。そうさせるだけの説得力が『荒くれの獅子』なる人物、西尾鉄嗣の力にあるという事なのだろう。
 
 二人の会話からだいだいの事情を飲み込んだユーキは、得た情報を頭の中で整理し始めた。
 剣と盾が上手いことゴルゾア・ファミリーを倒してくれるのならば、それはユーキにとって喜ばしいことだ。それで、奴らの執拗な追跡から逃げる生活を終えることが出来る。是非とも、『荒くれの獅子』始めとした剣と盾の面々には頑張っていただきたいと、都合よく彼らを心の中で激励した。
 それと同時にやはり早くここから去ったほうがいいと、改めて結論づける。
 剣と盾がゴルゾアに対して掃討作戦を仕掛けるのであれば、大きな争いが起こることは避けられない。巻き込まれるのは真っ平御免だった。
「アーロンさん」
 先ほど屋根の上で言いそこねた事を、改めて口にしようとする。
「なあ、ユーキ……」
 ところが、山のように積み上げられた皿を前にして、珍しく腕を組んで何やら考え事をしていたアーロンに口を挟まれてしまった。
「ゴルゾアってやつのボスはこの街にいるんだよな」
 徐にアーロンが聞く。嫌な予感しかしなかった。
「……そうですけど」
「だったら……」
「駄目ですよ」
 アーロンが言おうとしている事を、今度はユーキが即刻遮った。当然、アーロンは気分を害する。
「まだ、何も言ってないだろ!」
「ボスの所に乗り込んでやっつけようって言うんでしょ? 絶対に駄目ですからね!」
 自分の考えを当てられ、アーロンを「おお」と感心した声を漏らした。
「凄いなユーキ。何も言わなくても分かるなんてっ」
 きらきらと目を輝かせて褒めるアーロンに、ユーキは「やっぱりか!」と顔をしかめる。
「あなたの単純な考えぐらいすぐ検討が付きます。とにかく駄目ですからね」
「何でだよっ。ボスを倒せば、もうあいつらに追い掛け回されなくてすむじゃんかっ」
 ユーキの反対に納得出来ないアーロンがごね始める。だが、ユーキもここは絶対に譲れない。なぜ、好き好んで地獄へと向かわなければならないのか。アーロンだけボスの所へ行かすという手もなくはなかったが、その場合、ユーキがこの街に一人取り残されることになる。外にはもちろんゴルゾア・ファミリーの連中が大勢いるわけで、そんな中をアーロンが戻ってくるまで待つ勇気は彼にはなかった。
「ゴルゾアを倒すのは剣と盾がやってくれますから。おれらは余計な危険を冒さず、ここからさっさと逃げればいいんですって」
「やだっ! 逃げてばっかじゃ、おれが弱虫みたいだろっ」
(このクソガキ!)
 そこらの幼子の方がまだ聞き分けいいかもしれない。図体のでかい駄々っ子に、ユーキのこめかみの血管が浮く。
 無理に言うことを聞かせようとしても無理だと悟り、別方面から攻めることにした。
「ボスのとこに乗り込むのはいいですけど、街とは比べ物にならない程危険ですよ。そんな場所に行ったら、おれ死んじゃうかも知れません。それでもいいんですか?」
 先日、ユーキがうっかり死にかけたことがあり、以来アーロンは彼の身をやたら心配するようになっていた。それを利用しようとしたのだ。
「大丈夫だ。お前のことはおれが絶対に守る。だから、安心しろ」
 だが、何の迷いもなく自信満々に返ってきた予想外の答えに、ユーキは思わず脱力する。
 どうして、この主人は下僕を脅かす危機から守る方向ではなく、そもそも脅威となるものに近づけさせないという方に頭を働かせてくれないのか。
「いや、おれの言いたいのはそういう事じゃなくて!」
 二人の意見の食い違いは一向に解消される気配がない。苛立ったユーキが思わずテーブルに両手を付き立ち上がったのと、ほぼ同時にそれは起こった。
「こんなとこにいやがったのかテメエら!!」
「優雅にランチタイムとは度胸があるなぁ、おいっ。ふざけやがって!」
 ドアが吹っ飛びそうな勢いで、ぞろぞろと黒スーツたちが来店する。招かれざる客の登場に、一気に店内が騒然となった。
「うげっ、来やがった!」
 カウンターに目をやれば、こちらを指さして従業員が黒スーツに何やら告げている。
「畜生! あいつら、ちくりやがったなっ」
 ユーキが憤慨し、悪態をついた。
「いい加減、くたばれ!!」
 ゴルゾア・ファミリーの幹部が銃を構える。周囲から悲鳴が上がり、他の客がテーブルの下へと避難した。その直後、けたたましい銃声が店内に響き渡る。
 またしても、無数の弾が一斉にアーロンたちに襲いかかった。
「行くぞ、ユーキ!」
「はっ、え?」
 またユーキを脇に抱え、アーロンは窓を突っ込む。外へ飛び散ったガラスと共に、地面に着地すると、そのまま猛スピードで走り出した。
 当然、後を追ってくる黒スーツたち。再び、追いかけっこが始まった。
「もう、このままボスの所へ乗り込むぞ!」
「うえぇえええ!! ちょっと待っ」
 街を疾風の如く駆け抜けながら、身体スレスレを飛んでくる銃弾よりも恐ろしい言葉をアーロンが放つ。ユーキは当然止めようとしたが、如何せんアーロンに抱えられて荷物のように運ばれている状態ではどうしようもない。
 なすすべもなく、敵の総本山であるボスの元へと連れられていく。

――誰か助けてぇええええ!!――

 声にならない哀れな男の悲鳴が人知れず上がった。