Heimat2

「ほら、骨だぞー。食え」
 スペアリブの骨を手に持つアメジストの瞳が捉えるは銀目の縦長い瞳孔。ふさふさの毛を持ったソレは揺らされる骨には目もくれず、風になびく空色の髪に対し鋭い爪で一撃を加えた。
「何だよ。食えってば」
 パラパラと落ちる髪に構わず、男は漆黒の毛むくじゃらの物体に尚も骨をちらつかせる。物体はしゃーと唸り声を上げ、毛を逆立たせた。
 小さな身体全体で示す拒否と警告に男は気づけない。タイムリミットまでもうあとわずか。
「腹でも壊してんのか?」
 ぐいぐいと頬に骨を押し付け続ける男に、とうとう毛むくじゃらの堪忍袋の緒が切れた。
「ん?」
  男の視界が急に暗くなる。次の瞬間には生暖かい体温とチクチクとした毛の感触を、男は顔一問に感じていた。




 ガラガラと塀の壁が崩れ去っていくけたたましい騒音と光景を目の前にして、ユーキ・シラサギは呆れたようにぽかんと口を開けた。
「何やってるんですか……アーロンさん」
 拳一つでコンクリートを粉々に砕いた青年――アーロンは、ユーキの呼び掛けにとあるものを指差す。
 ユーキがそちらに視線をやれば、茶色の毛並みの猫が颯爽と歩いていた。
「あいつがおれの顔に飛びかかってきやがったんだ!」
「ああ、それで顔中毛だらけなんですね……」
 その言葉通り、アーロンの髪は乱れに乱れ、顔のあちらこちらに茶色の毛が付着していた。
「また、何をやったんです?」
 ついた毛を手で払い、「あの恩知らず!」と叫びながら立腹するアーロンに、ユーキがうんざりしたように聞く。
「おれは骨をやろうとしただけだ。なのに、あいつが!」
 アーロンは昼間食べたスペアリブの骨をユーキに見せ、尚も憤慨している。こんなもん持ち歩いてたのかとユーキは呆れ果てたように眉を顰めた。
「そりゃそんなもんやったって、猫も困るでしょうよ……」
 ユーキの指摘にアーロンは首を傾げ、頭にクエクションマークを浮かべる。
「猫って骨大好物だって聞いたぞ」
「その定説に当てはまるのは猫じゃなくて犬だと思いますよ」
「え? そうなのか?」
 間違いに気づいたアーロンだったが、まだ納得はしてないらしい。うむむと唸りながら、「でも、同じようなもんじゃないか。似たような耳だし、四本足だし……」と一人ごちていた。
 そんな彼をユーキは冷めた目で眺めながら、ため息をつく。
 一年ほど一緒に旅して分かった事だが、アーロンは動物好きらしかった。先ほどのように動物を見つける度に構おうとするのだが、残念なことに彼らからは絶望的に好かれなかった。ほぼ間違いなく逃げられるか攻撃を食らってしまう。おそらく、本能でアーロンの化物じみた力を感じ取っているのだろうなというのがユーキの見解だ。
 しかし、そんなことなど知ったことじゃないアーロンは、動物たちに謂れのない敵意を向けられることに日々不満を募らせていた。
「何でどいつもこいつもおれに逆らうんだよー!」
 ゆうに1mは超える砕けたコンクリート片を片手に持ち、アーロンが叫ぶ。経験から、その後の行動を予測したユーキは慌ててその場にしゃがんだ。
 頭上スレスレに感じる風。後方からものすごい轟音が響き、土煙が舞う。
 頬に冷や汗を垂らしながら、ユーキは恐る恐る後ろを振り向いた。先ほどのコンクリートの塊が倉庫の壁を破壊している光景に、ごくりと生唾の飲み込む。幸いにも人がいなかったため、一歩間違えばユーキに直撃していたかもしれない可能性を無視すれば、人的被害は何もなかった。
「知りませんよ。モノに当たらんで下さい!」
「せっかく優しくしてやってるのに、いつもあいつらお前の方に懐くじゃないか、下僕のくせに!」
 アーロンの怒りの標的が何故かユーキへと移る。理不尽な言いがかりをつけながら、今度はすぐ近くの木を引っこ抜いて振り上げた。
「いや、ちょ、待って。あなたが動物に好かれないの、おれのせいじゃありませんてばっ。てか、動物より先に下僕の方大切にしてくださいよ!」
 後ずさるユーキに、じりじりと近づくアーロン。この主人はそこらのごろつきよりやるとこがめちゃくちゃな上、容赦がない。わりと真剣に下僕は命の危機に晒されていた。
「ほ、ほら、こんなことしてる場合じゃないでしょう。故郷探ししなきゃ」
 ユーキは必死で話を逸らそうとすることで、身を守ろうとする。それが功を奏したのか、アーロンは引っ込ぬいた木をその辺に放り投げた。
「そうだ、故郷に行かなきゃ。ユーキ、また海に行くぞ!」
「またですか……」
 初めて二人が出あってから一年。ユーキは突如地面から現れたアーロンの「故郷」探しに付き合わされていた。
 「故郷」というのはアーロン自身のではなく、話によるとかつて一緒にいた彼の仲間のものらしい。せっかく外に出たのだから、仲間がずっと帰りたいと言っていた故郷を見ていたいとのことだった。
 しかし、彼らの「故郷」探しは非常に困難なものとなっていた。それもそのはず、アーロンが持っていた「故郷」の手がかりは、海が近くにあり、山もあり、自然豊かで食べ物がいっぱいある場所……これのみだ。
 都会ではないことはかろうじて分かるが、この広い世界に該当する場所が一体いくつあるというのだろう。
 土地の名前も定かでない以上、出来る事言えば、ひたすら海沿いの街を訪ねて散策してみるという、砂浜から一粒の砂を探し出すような気の遠くなるような作業を繰り返すほかない。
 こんな方法では何年掛けたところで、見つかるもんも見つからないだろうというのが、ユーキの本音だった。
 まあ、アーロンが自分の身を守ってさえくれれば、彼の「故郷」がどうなろうとユーキにはどうでもよいことだ。
 勝手に思う存分探してろと心中で吐きすて、海へ向かおうとしたのだが。
 突如、アーロンが腹を両手で押さえ、びたっと足を止めた。
「腹へった……」
 ぼそっと呟かれた言葉と共に、アーロンの腹の虫がうるさく主張する。太陽はまだまだ高い位置で燦々と輝いていた。
「ええ!? まだ、夕飯には早すぎますって。それに昼間あれだけ肉食べたじゃないですか」
 しかも高いやつばっかり食いやがってと内心ぼやきつつ、ユーキがそう言うものの、この我が儘男がそれで引き下がるわけがない。
「おれが食いたい時が夕飯時だ。腹減ったー!」
「どぅわっ!」
 子供ような癇癪を起こしながら、アーロンがユーキの脇腹に蹴りを入れる。本人的には軽く蹴ったつもりらしいが、ユーキの身体は簡単にふっ飛んでいった。
 痛みに唸りながら脇腹を押さえ、ユーキは何とか起き上がる。ありとありゆる罵詈雑言をぶつけたい思いを何とか押しとどめていたが、アーロンの己を見る目が肉食獣と同じ色になっていくのに気づき、怒りが一気に消え去る。
 即座に財布を取り出したものの、中身を見た途端、あっと声を上げた。
「いや、でもですね……。夕飯にするとしても、金ないですよ」
 アーロンの様子を慎重に伺いながら、小声で告げる。すると、即座にアーロンが「えーっ!」と不満そうな顔を見せた。
「何やってんだよ。金の管理はお前の仕事だろ?」
「いやだって、アーロンさんが馬鹿みたいに食うから……」
 アーロンのいちゃもんに対し、ユーキが弁解する。常に人の三倍は軽く食べるアーロンにより、食費はうなぎのぼりだ。これでは金もすぐに尽きるのは自明の理であろう。
 だが、アーロンにそんな理屈が通用するはずがない。
「誰が馬鹿だ!」
「す、すいません! あ、殴るのやめて、まじで死んじゃいますから!」
 ユーキに殴りかかろうとするアーロンだったが、再び腹が鳴り動きが止まる。
「むー。なら、もう金払わないで食えばいいじゃないか」
「それでもいいですけど、飯の度に無銭飲食や泥棒繰り返さなきゃならないでしょう? 結構しんどいというか……」
 アーロンのとんでもない提案に、ユーキは世間常識とはずれた渋り方を見せた。元々、盗みや詐欺で生計を立ててきたので、その手の行為になんら罪悪感はない。しかし、あんまりやりすぎて警察に目を付けられるのは避けたい所でもある。
「じゃあ、また金ぶん取りにいくか?」
 再び、物騒なことをアーロンが口にする。ユーキと違い、ずっと地下にいたために彼は極度に世間知らずなのだ。以前、ユーキが「金がなくなったら、ある奴から奪えばいいですよ」という言葉をそのまま信じていたのだった。
「そーですね。どうせ、金は必要だし」
 さて、どこから調達するかとユーキは思案した。でかい所を狙えば大金も手に入るが、その分リスクも高くなる。それなりの規模で盗みやすそうなところはないものかと考えていると、アーロンがユーキの名を呼んだ。
「おれ、いいとこ知ってるぞ。さっそく出発だ!」
「え? ちょっとアーロンさん!?」
 どこへ?と尋ねる間もなく、アーロンはユーキの腕を取りぐいぐい引っ張る。ユーキはなすがままにどこかに連れて行かれるほかなかった。 





 頑丈で巨大な黒い門の前に立つ二人の男。水色の髪の青年は笑顔で意気揚々とした出で立ちだが、黒混じりの茶髪の男は顔を真っ青にさせていた。
「ア、アーロンさん、ここって……」
 震える指で、ユーキは門を差す。
「ここならたくさん金たくさんあるだろ」
「そりゃぁ、あるでしょうよ。だってここは……」
 敷地内にはいくつもの倉庫が立ち並び、いかにもといった感じの強面の男たちがうじゃうじゃと徘徊している。上に視線をやると、監視塔だろう建物の窓から地上を厳しく監視している銃を構えた男の姿。
 最奥にはものものしい雰囲気を醸し出す壮大な豪邸がユーキ達を威圧していた。
「あの悪名高きゴルゾアファミリー関連のボスの息子の家じゃないですかっ」
ゴルゾアファミリーはこの辺一体を仕切るかなりの規模と権力を持つマフィアである。ユーキがかつて追われていた組織とは比べ物にならない程凶悪で危険な組織だ。
 ここはそのボスの子息の自宅であり、組織の支部にもなっている所だった。
 まともな人間なら、金を盗むためだけにこんな所を標的にするなんて馬鹿な真似はしないだろう。しかし、残念ながらユーキの隣にいた人物は、まさにまともでない馬鹿だった。
「よし! さっそく乗り込むぞユーキ!」
 アーロンは門に軽く蹴りを入れる。何者も阻む頑丈な鉄の塊は大きな音を立てながら倒れ、地獄へと続く道の扉が今開かれた




「何もんだテメエ!」
 敷地内にひっきりなしに響き渡る男たちの怒声と銃声。辺一体は銃弾の嵐と化していた。
 そんな物騒な中を侵入者である白と黒のチェック柄の服を着た男は平然と歩く。男を襲う弾丸は確かに彼を捉えているのに、何故かカスリ傷一つ負わすことも出来ない。まるで男の周りを見えない鎧が囲っているかのように、弾が途中で軌道を変え、あらぬ方向に行ってしまうのだ。
 常識では考えられない光景にいくつもの修羅場を経験していたであろう男たちも、得体のしれない侵入者に対し、さすがに驚きと怯えの色を隠せなかった。
 一方で侵入者――アーロンは頬をふくらませ、いかにも不満げな表情を浮かべていた。
 アーロンの歩みはまるで亀のごとく非常に遅い。彼自身は早く一番奥にある敵の総本山であるボスの息子の自宅に乗り込みたかったのだが、どういう訳か時々立ち止まっては、しきりに後ろを確認する動作を繰り返していた。
 そうせざるを得ない理由があったのだ。
「遅いぞユーキ! これじゃあ、夜になっちゃうじゃないかっ。早く来い!」
 倉庫の横に積まれた木箱に向かって怒鳴る。すると、木箱の陰からひょこりと実は密かに居たもう一人の侵入者が顔を出した。
「無理ですってぇ。見てくださいよ、弾がビュンビュン飛んでるじゃないですか!」
「当たらないから大丈夫だ」
「そりゃ、あなたはね!」
 本人曰く気合とかいうふざけた謎の力で銃弾すら跳ね飛ばせるアーロンと違い、ユーキはごく普通のか弱い人間だ。
 戦争さながらの銃撃戦となっている場に一歩でも踏み出せば、途端にあの世行きである。
 そう訴えようとしたものの、頬から数mmのところを弾が掠める。ユーキは短い悲鳴を上げ、再び木箱の後ろに引っ込んだ。
「アーロンさん一人でぱっと行ってくればすむことでしょ〜」
 身を屈め、ユーキが震えた声で言う。
「おれ一人じゃ金がどこにあるか分からないだろ」
「おれだって知りませんよ……馬鹿でかい豪邸のどっかに金庫があるんじゃないですか?」
 だから一人で行ってくれ、お前に敵が引き付けられている内に逃げるからと、ユーキが密かに願う。しかし、アーロンはその提案を蹴った。
「なら、あの家で二人で探そう。その方が早い」
「だから、無理ですって!」
 無駄な攻防を続ける主人と下僕。先に切れたのはアーロンの方だった。
「あー、もうごちゃごちゃ言ってないで行くぞ!」
 そう叫ぶやいなや、ユーキの腰に手を回して抱えると、木箱の一番上に飛び乗った。
「うぇえ! ちょっとアーロンさん何やってんですか!?」
 小脇に抱えられた形となったユーキは、宙に浮いた状態となっている手足をばたつかせて抵抗する。
「あ、こら! 暴れるなユーキ。落ちても知らないぞっ」
「え?」
 嫌な予感を覚えたユーキは顔から血の気が引く。次の瞬間予感は見事に的中した。
 ユーキを抱えたまま、アーロンが飛ぶ。倉庫の側面に着地すると、壁を勢いよく蹴る。反動を利用し、隣の倉庫の壁へ。それを繰り返すことで上へ上へと登っていく。
 上空で一回転し、倉庫の屋根へと降り立ったアーロンはまっすぐ目的地の豪邸を見据えた。
一方でユーキは事態に頭がついて行けず、無言のまま自失呆然状態だ。彼がやっと正気に戻った時にはもうアーロンは駆け出していた。

「上だ、上にいるぞ!」
「撃ち落とせ!!」
 地上の男たちは倉庫の屋根にいる二人に銃を乱射する。監守塔にいる見張りも猛スピードで移動するアーロンの姿を確認し、機関銃を構え狙撃しようと試みる。しかし、例によって弾がアーロンを捉えることはなかった。
 襲い来る弾丸をもろともせず、倉庫から倉庫へ軽やかに飛び移るアーロン。ビュンビュンと上下左右、時には空中回転を加えた激しい動きに小脇に抱えられたままのユーキの体が激しく揺れ動く。
「うぎゃぁああああああ!!」
 けたたましい銃声にも負けない哀れな男の断末魔の叫びが辺一体にこだました。





「よし、突入するぞー!」
 目的地が近づき、アーロンはギアを上げ、倉庫の屋根から勢い良い飛び上がる。そして、豪邸の最上階の窓をぶち破り、中へと侵入した。
 やたら高価で悪趣味な調度品が並ぶ、かなり広い部屋。
 潜入に成功したアーロンはガラスの破片をじゃりじゃりと踏み砕きながら、ようやくユーキを地面へと下ろす。ユーキは真っ青な顔をしながら背を丸め、口元を両手で押さえた。
「うぇえ……。気持ちわりぃ」
 アーロンの無茶苦茶な動きに三半規管が耐え切れなかったらしい。吐き気を何とかこらえ、ユーキはふらふらと立ち上がった。
「よし、金を探すぞユーキ!」
 しかし、アーロンは下僕の状態を考慮などしてくる訳がなく、ユーキに金の搜索を促した。下僕は覚束無い足取りでアーロンの元へ近づく。
「……闇雲に探すより、誰かに聞いた方が早くないですか」
 ユーキの指摘に、アーロンは「おっ」と声を掛けた。
「そうか、そうだな。誰に聞けばいいんだ?」
「そりゃ、ここの偉いやつでしょうねー」
 ユーキがハハハと乾いた笑い声を漏らす。どうやら彼の脳も先ほどの行動で激しくシェイクされたダメージから抜けきってしないらしい。半ばヤケになっていた。
「偉いやつってどういうやつだよ」
「いかにもな高い服を着て、やたら偉そうに葉巻咥えた……そうあいつみたいなやつです」
 ユーキは扉の方を指出す。物音を聞きつけやってきた男を指差す。まさにユーキが言った通りの身なりをしている男は、二人を見て激怒の表情を浮かべる。そして、ユーキはその顔に見覚えがあった。
「誰だテメエらぁ!!」
 男の怒号に忘れてかけていた恐怖が蘇る。ユーキは慌てて、アーロンの方に向き直った。
「あ、あれです。あれがボスの息子ですアーロンさん!」
「じゃあ、あいつに聞けばいいんだな」
 とっさに部屋の隅に逃げるユーキとは対照的に、アーロンはボスの息子との距離を詰める。男は眉間に深いシワを何本を刻み、ショットガンを構えた。
「何の目的でここに乗り込んできやがった。どこの組織のもんだお前ら」
「なあ、金どこあるんだ?」
 威圧してくるボスの息子を華麗に無視し、アーロンは性懲りもなく金の在り処を聞く。
舐めてるとしか思えない態度に、どう見ても気が短い方であろう男の血管がいくつか切れる音がした。
「ふざけるなよ、このクソガキがあ!」
ボスの息子は容赦なくショットガンを打つ。だが、無論一発も当たるはずがなく、ただ部屋中に穴が空くだけだった。
 アーロンは少しばかり不機嫌そうな面持ちで、さらに男に近づく。そして、ショットガンの銃身を掴んだ。
「先からバンバン煩いっての!」
 アーロンはショットガンを掴む手にぐぐっと力を込める。すると、銃身がまるで粘土のようにぐにゃりと曲がった。人間離れした怪力を見せつけられ、ボスの息子は驚愕で目を見開いた。
「この、化け物!」
使い物にならなくなったショットガンを投げ捨てると、壁にかけてあったサーベルを手に取る。そして、アーロンに斬りかかった。
 が、刃先がアーロンの体に当たった途端折れ、床へと落ちる。アーロンには傷一つついていない。これにはさすがにボスの息子も唖然とするしかなかった。
「あー!」
 無傷なはずのアーロンが声を上げた。彼自身は無傷だったのだが、肉体自体は頑丈でも来ている服はそうはいかない。ただの布で出来たそれは胸の辺りを斜めに無残にも切り裂かれてしまっていた。
「何するんだよ! これ気に入ってたのに!」
 怒ったアーロンはマフィアの息子の胸ぐらを掴み、片手で持ち上げる。そして、男が抵抗する暇すら与えず、力いっぱいその体を投げ飛ばした。
 ボスの息子は部屋の扉をぶち破り、廊下の床へと大きな音を立て叩き付けられた。そのままピクリとも動かない男に、ユーキは「死んだかな……」と合掌し、わずかばかりの同情をした。
「あ、金の場所聞くの忘れた!」
 本来の目的を思いだし、アーロンはマフィアの息子の駆け寄る。とても答えられる状態でねぇだろと声に出さずユーキが突っ込む中、ふと傍に大きな鉄製の箱のようなものがあるのに気づいた。
 その箱には取っ手と何やらダイヤルのようなものがついている。これは間違いなく二人が探していたものだった。
「アーロンさん、ありましたよ金庫」
「え? 本当かっ」
 アーロンが急いでユーキの傍に駆け寄った。
「この中に金が入ってるんだな」
 興味津々でアーロンがユーキに尋ねる。
「そうだと思いますけど、でもこれダイヤルの番号が分からないと開けられない……」
 ユーキが言い終わる前に、アーロンが金庫の取っ手に手をかける。軽く腕を引くと、バキっという音を立てて金庫の扉が外れた。
「あなたには関係ないことでしたね……」
 この馬鹿力めと苦笑いを浮かべていたユーキだったが、金庫の中を覗いた途端、目の色を変えた。
 多数の札束に金の延べ棒。色とりどりに輝く宝石たち。それらが放つ魔力にユーキのそれまでの不満は綺麗さっぱり消え去っていった。






「あー、腹いっぱい。もう暗くなったから宿行くぞ」
「食ったら即寝るですか。自由で羨ましいことで」
 さっそく手に入れた金で夕食を済ませたアーロンとユーキは、すっかり暗くなった町並みを歩いていた。
 満腹で満足げなアーロンに、金が手に入ったことでいつもより機嫌がいいユーキ。そんな二人を上空から眺める黒い影。
 不穏な視線を感じ取ったアーロンが弾かれたように上を向く。しかし、そこには暗闇に包まれた空があるだけだった。
「どうしました、アーロンさん?」
 急に足を止めたアーロンに、怪訝そうな表情をしてユーキが声をかける。
「いや、何でもない」
 アーロンは再び何事もなかったように歩き出す。しかし、その顔にはいつものような明るさが影を潜めていた。