何でも屋と猟奇殺人鬼と教祖様

 高層ビルの最上階。きらびやかな外装からして、どう見ても三ツ星レストランの入口にスーツ姿の男が三人。

「会えて嬉しいよ。何でも屋」
 優雅な頬笑みを浮かべるブロンドヘアーの男。
「こちらこそ、サルヴァトーレ・バルディーニ殿」
 黒髪の男が不敵に笑う。
「……」
 そんな二人を落ち着きなげにキョロキョロ見る赤茶の髪の男は、引きつった笑みを顔に貼り付けていた。
「立ち話も何だから、中に入らないか?」
 サルヴァトーレが黒髪に話しかける。
「おお、そうだな。案内を頼めますでしょうか? 救世主様」
 小馬鹿にするような口調でニヤニヤとする黒髪に、サルヴァトーレから一瞬だけ表情が消える。しかし、すぐに先ほどの微笑みを取り戻すと、「では、こちらに」とさっそうとレストランへと入っていった。



「リ〜ア〜」
「何だよ、ディアス」
 サルヴァトーレの姿が消えると、黒髪の男――リアの後ろに隠れるようにして、じっと黙っていた赤茶の男ディアスが恨みがましそうな視線と声をリアに向けてきた。
「何だよこれは。食事に行くんじゃなかったのか?」
「だから、食事に来てるだろ。ついでに救世主様も一緒ってだけだ」
 ディアスの問いに、リアは心底意地の悪い笑みを浮かべて答えた。それは見て、ディアスはやられたと舌打ちする。
 食に拘りのないリアが、わざわざこんな高級店を選んだ時点で警戒すべきだった。いや、そもそも、たまには二人で食事に行かないかというディアスの誘いにあっさりリアが乗って来た段階でおかしいと勘付かねばならなかったのだ。
 ディアスは心の底から後悔したが、すでに後の祭りだった。
「さ、さっさと入ろうぜ。待たせると救世主様のお怒りに触れっちまうぞ」
 実に楽しげにリアは鼻歌を交えながら、サルヴァトーレの後を追う。しかし、対照的にディアスの足どりはとても重い。
 出来ることなら、このまま逃げてしまいたい。しかし、それをしてしまうと後が怖かった。ディアスの人生で出会った中で根性悪ナンバーワンとナンバーツーが一同に揃うなんてなんの因果だとディアスは顔を手で覆い、海より深いため息をついた。・



「この前はどうも。なかなかに見事な手口だったよ。おかげで後始末が大変だった」
 テーブルについたサルヴァトーレが慣れた手つきで料理にナイフを入れながら、真正面にいるリアに話しかけた。
 先日のこと、シエルとディアスを使ってサルヴァトーレを引き付けているうちに、リアの本当のターゲットであった彼の表のビジネスの取引相手を爆死させた件を暗に言っていた。
「いやいや、あれは優秀な友人達のおかげで、おれ自身は大したことしてないぜ」
 対するリアは乱雑に肉をフォークで突き刺し、口に運ぶ。値段が高いだけあって味はなかなかだった。
「優秀な手ごまを持っていても、それを使う人間が無能では意味がない。その点で君はとても優れているよ」
「お褒めに預かり、光栄です教祖様。だけど、そちらには適いませんよ。己のためにわざわざ死んでくれる人間はおれにはいないので」
 お互いが表向きはにこやかな表情で談笑を続ける。白々しい空気が流れていたが、お互い余裕をもった態度を崩さなかった。
「上に立つものが優秀なら、下もついてきてくれるのさ。ビジネスでもそのほかでもね」
「上がイカレた人間なら、下もイカレた人間になるってこったな。人は人でしかないことを忘れて神の真似事をする男とそれに命をかける者。まっ、お似合いじゃね」
 リアの揶揄にサルヴァトーレの繭がぴくりと動く。しかし、表情は変えなかった。
「だけど、あんまり調子乗ってるといつか痛い目みるから、気をつけた方がいいとも言っておこうか?」
「ご忠告どうも。お礼に小山の大将を気取ってると、いつか真っ逆さまに崖から落っこちるぜと進言しておくよ」
「崖から突き落とす役は君か?」
「まさか。んな面倒なことはしねえよ。まあ、面倒なのはお前じゃなくて、お前の信者なんだがな」
 リアは煙草を口にくわえ、火をつけようとする。だが、その前にサルヴァトーレに煙草を奪われてしまった。
「ここは禁煙だよ。何でも屋」
 少しだけ苛立ったような口調で、サルヴァトーレは前髪をかき上げる。リアは口角を僅かに上げ、「これは失敬」とライターを懐にしまった。
「さて、無駄話はここまでにして、本題に入ろうじゃねえか。依頼内容は?」
 いかにもビジネス的な愛想笑いを浮かべ、リアがサルヴァトーレに問う。サルヴァトーレは一枚の写真をテーブルに置いた。
 その写真の男にリアは見覚えがあった。とある国の大物政治家だ。
「どうにも彼とは折り合いが悪くてね。できるだけ平和に友好的になりたいんだ」
 そっけない口調でサルヴァトーレが淡々と話す。爽やかな仮面の下にぎらぎらした野心を感じ取りながら、やれやれといった感じでリアは頬杖をついた。
「要は気に食わないやつを押さえつけるために弱みを握ってこいってことね。まあ、単純に殺すだけならお前の信者たち使えば済むが、この手のことには不向きだよな」
「まあ、そういうことだね。で、受けるの? 受けないの?」
 今度はリアの挑発に乗らず、サルヴァトーレは高圧的な態度で返してきた。生まれ付いての女王様だなこいつと思いながら、リアはにっこりと心の全く篭ってない笑みを返した。
「安心しな。依頼人の人格に関わらず、依頼を受けた以上はちゃんとやってやるよ。そっちが余計なことしなきゃな」
「期待してるよ。何でも屋」
 その言葉にサルヴァトーレもにやりと笑った。


「ところでディアス。食べねえのか? 勿体ねえぞ」
 先ほどから、存在感のないというより必死で存在を消しているディアスに、リアが話しかける。ディアスの目の前の料理は一切手を付けられた形跡がなかった。
「食欲がねえ。つーか、今すぐ帰りてえ……」
 ディアスは両肘をテーブルにつき、顔を両手で覆って唸るように呟く。そして、そのまま黙り込んでしまった。口数の少ないディアスというダイアモンドより希少なものを横目で見ながら、リアは赤ワインに口をつける。何年ものかの何とかいう銘柄でお高いワインらしいが、渋みが強くリアの口には合わなかった。
「ファン」
 リアと同じくワインを嗜んでいたサルヴァトーレが、この店に来て初めてディアスの名を呼ぶ。ワインを片手に持つ姿は実に優美で様になっていた。
「な、何だ……?」
 大きく身体をびくつかせ、おどおどしながらディアスがサルヴァトーレの方に顔を向ける。しかし、すぐに視線をそらしてしまった。
「最近の調子はどうなんだい?」
 久しぶりに会った旧友を気遣うような口調で、サルヴァトーレはにっこりとディアスに笑いかける。だが、ディアスには全身を針でちくちくと刺されるような嫌な重圧に感じられた。
「えーと……。まあ、なんていうか……普通だな」
 しどろもどろになりながら、何とかディアスが答える。無意識に隣にいるリアの肩を縋るようにして掴んでいた。
 普段のテンション高く唯我独尊な男はどこへやら、借りてきた猫のようにびくびくしているディアスを、リアは呆れるような哀れむような目つきで見ていた。せめてもの情けで肩に置かれた手はそのままにしておいてやったが。
「そう。おれも十年前にお前に刺された古傷が時折疼くけど、それ以外は問題ないよ」
 サルヴァトーレの目がすうっと細められる。途端にディアスは身体の芯から寒気を感じた。トラウマというものは恐ろしいものだ。十年経った今でも、目の前の男を前にすると身体が勝手に震えだす。ディアスは出来ることならこの場から今すぐにでも消え去りたい気持ちで一杯だった。出来ないから困っていたが。
 古傷でいうなら、サルヴァトーレがディアスにつけた傷は数え切れないほどたくさんあるが、ディアスはもちろんそのことは口にしなかった。言ったら最後、また新たな傷が増えるのは火を見るより明らかだ。
「あ〜、そうですか。悪かった……」
 依然として、サルヴァトーレから視線を逸らしたまま、弱弱しい口調でディアスはひとまず謝罪をした。
「嫌だなあ。誤解するなよファン。おれは別に怒ってないさ。ああ、そういえば傷といえば……」
「……っ!」
 サルヴァトーレはゆっくりとディアスの右耳に腕を伸ばす。ディアスは咄嗟に後ろへ下がろうとし、椅子ががたがたと悲鳴を上げた。あとちょっとで後ろへひっくり返りそうになる所だったが何とか耐える。
「この前の耳の傷。大分治ってるね。でも、やっぱりこのピアスは気に入らないなあ」
 そっとファンはディアスに付けられたピアスを撫でる。ぞくっとした感覚が背筋を襲い、ディアスは恐怖から生唾を飲み込んだ。
 先日、十年ぶりに再会したと思ったら、いきなりピアスごと右耳を引きちぎられそうになった記憶がディアスの脳裏に蘇る。大分塞がりはしたが、それでもまだ痛々しい傷跡がまだ右耳には残っていた。
「せっかくだからこれ、今ここで取ろうか?」
 耳を掴む手の力を籠め、サルヴァトーレがこれでもかという綺麗な、そして恐ろしい笑みを浮かべる。
 身の危険を感じ取ったディアスはサルヴァトーレの腕を払い、両手をテーブルについて勢いよく立ち上がった。

「お前ら、仕事の話をするためにここに来たんだよな。ということは、おれ必要ないよな?この場にいなくて問題ないよな? つーわけで、おれは帰……いっだぁーー!!」

 店内にディアスの絶叫が響き渡った。テーブルクロスが赤く染まっていく。一つはディアスが立ち上がったときに倒してしまった瓶から零れたワインのせいで。もう一つはディアス自身の血のせいだ。
 ディアスの左手には鈍く光る銀色のフォークが突き刺さっていた。
「大声を出すなよファン。周りに迷惑じゃないか」
 ぐぐっとフォークを捻りながら、サルヴァトーレは表情と声だけは穏やかにディアスを
諭す。しかし、うめき声を上げ、額に脂汗を浮かべたディアスにはそれを聞く余裕はまっ
たくなかった
 なかなかにショッキングな光景だったが、それを見たリアの感想は「高いワインなのにもったいね」ということだけだった。自分のグラスに残ったワインをテーブルクロスにぶちまけ、ディアスの血を誤魔化す。
「お客様。どうかなされましたか?」
 騒ぎを聞いたウェイトレスが、不安げな様子でリアたちのいるテーブルに近づいてくる。
サルヴァトーレがフォークを引き抜き、ディアスが左手をテーブルの下に素早く隠したため、彼女が凄惨な傷害事件の現場を見ることは幸いにもなかった。
「あー、悪い。こいつが酔っ払っちゃってね。迷惑かけた。心配ない」
 リアがディアスの方を指差し、ウェイトレスに向って気さくに笑う。
「あと、さらに悪いけど、ワイン零しちまったんで、拭くもんと適当な酒持ってきてくれねえか?」




 何だかんだでようやくレストランから出たリアとディアスは街中を並んで歩いていた。二人の表情は面白いほどに両極端だ。
「おい……」
 ぐったりとした様子でディアスがリアを睨みつける。フォークで刺された左手は応急処置として、とりあえずハンカチが巻かれていた。
「何か?」
 リアはと言えば、涼しい顔でわざとらしく聞き返してくる。こんな意地の悪い人間もそうはいないとディアスは心底思う。今更であったが。
「おれがあの場にいる意味はあったのか?」
「ねえよ、そんなもん。ただ、慌てふためくお前が見たかっただけ」
 悪びれもせず、あっさり言い放つリアに、ディアスは思わず呆気に取られ、目をぱちくりさせる。だが、すぐにカッとなり、スーツのポケットからサバイバルナイフを取り出し、リアに向けた。
「てめえッ、リア! 切り刻むぞ!」
「そりゃ、勘弁。このスーツ新調したばっかだし。あー、楽しかった」
 怒鳴るディアスに対し、リアは腹を抱えて大笑いする。いい退屈しのぎになったと実にご機嫌な様子で、先ほどからずっと我慢していた煙草を口にした。