何でも屋と娘

 周囲は原っぱばかりで、目立った建物といえば、こぢんまりとした可愛らしい色合いをした施設しかない。その施設にはこれまたこぢんまりとした中庭があり、申し訳程度に置かれた遊具で数人の子供たちが遊んでいた。

 リア・キリングスは小脇に可愛らしいティディベアを抱いて、中庭の様子をじっと観察する。
 彼の目はブランコを漕いでいる一人の少女の姿を追っていた。
 歳は10歳前後で、亜麻色のウェーブのかかったロングへアー。少女は自分を見ているリアに気づいたようだ。慌ててブランコを飛び降りた後、満面の笑みでリアの元へと一目散に駆け寄ってくる。そのつぶらで大きな瞳はリアと同じ銀灰色をしていた。

「おじちゃん!」
 少女は外と施設とを区切るフェンス越しに、リアに呼ぶ。きらきらとした笑顔はとても嬉しそうで、心の底からリアの来訪を歓迎しているようだった。
「よう、シンディ。元気だったか?」
 リアの方も普段からは想像つかないような穏やかな笑みをシンディに向ける。そして、彼女にディディベアを見せ付けた。
「これ、今回のお土産な」
「可愛い! おじちゃん、いつもありがとう、大好き!」
「いつもプレゼントくれるからか?」
「ち、違うよ! お土産なくても好きだもん」
 リアの言葉を慌てて否定するシンディが面白く、リアはくすくす笑いながら「冗談だ」と言ってやる。すると、安心したかのようにシンディがほっと息を吐いた。
「よかったー。おじちゃん、まだ帰らないよね? じゃあ、一緒に遊ぼ!」
「あー……」
 リアは施設の方に目線を移す。その先にいたのは、険しい表情でこちらを見つめる幼稚園か学校の先生を思い起こさせる格好の若い女性の姿。明らかにリアを警戒している様子の女性はリアの視線に気づくと、部屋の奥の方へ引っ込んでしまった。
「悪い、シンディ。ちょっと待っててくれるか。先に園長センセとお話しねぇといけないみたいだ」
 リアの言葉にシンディがこくりと頷く。丁度その時、先ほどの女性が壮年の女性を連れて外へと出てきていた。




「一体どういうつもりなんですか」
 壮年の女性はソファにふんぞり返って座り、テーブルの上に置いてあった飴を勝手に口に放り込むリアに対し、厳しい顔つきで問いつめた。
 壮年の女性の側には、先ほどの若い女性がリアの行動を監視するかのようにじっと立っている。
「どうしたも何も。実の娘に実の父親が会いに来ちゃ悪いか?」
 ここに来る時は煙草を吸わないようにしているため、口寂しさを誤魔化すかのように飴を噛み砕きながら、リアは先ほどのシンディへの態度とは打って変わり、いつもの人を食ったような口調で言葉を返す。
「施設に預けっぱなしにして、父親であることもあの子に隠しているくせに」
 若い方の女性がすかさず苦々しく呟いた。それを聞いて、リアが楽しげに喉を鳴らす。
「そりゃまあ、いろんな事情があるしな。おれはあっちこっち飛び回る身分だし、それにシンディを付き合わせるのも可哀想だろ?」
 そう言って不敵に笑う男と同じ色の瞳をもつ少女――シンディは紛れもないリアの娘だった。しかし、シンディはそれを知らず、リアの事は自分の父親の友達だった男と思っている。リアがそうシンディに教えたのだ。
 何でも屋としてさまざまな場所を放浪し、危険な仕事に携わる身であるリアが、まだ幼いシンディを己の手で育てるのは難しい。シンディの母親も彼女が生まれてすぐ他界していたため、彼女は物心つく前から孤児院に預けられていた。リアの目の前にいる壮年の女性はこの孤児院の園長で、隣にいる若い女性は園長の娘である。
「そのいろんな事情とやらのせいで、あの子は常に危険に晒されてるんですよ!」
 テーブルを拳で叩き、園長がリアを責め立てる。明らかに彼女はリアに対し、立腹していた。
 リアは自身の仕事の性質上、あちらこちらからの情報を握っており、また恨みも買っていた。そんなリアによからぬ思いをもつ輩にとって、弱みになりかねない娘のシンディは格好のターゲットだ。
 それゆえに少しでもその危険を減らすため、リアはシンディに自分が父親だと名乗っていないかった。だたし、その他の理由として、単に何で父親なのに一緒に暮らせないのと質問されるのが面倒ということもあったのだが。
 園長に言われなくても、シンディが置かれた境遇についてはリアが一番良く知っている。シンディに会う時も常に尾行には気をつけていたし、万が一ここへ怪しい者が来たら、園長親子だけで対処できるようにはいろいろと処置を施している。
 ただし、どれだけ用心に用心を重ねても、物事に絶対はないのだ。現に園長がいう事態は過去に起こってしまっている。
「実際にあの子は一度、あなたのせいで誘拐されているんです! 無事だったから良かったものの、おかげで孤児院を別の場所に移さなければならなくなったんですよ!」
 施設内での警戒は怠らなかったが、施設外まではさすがに常時シンディを園長たちも見張っていられない。シンディが外に遊びに行った一瞬の隙を付かれてしまった。
 幸い、その時は復讐ではなくリアの持っている情報目当ての誘拐だったので、すぐに殺されずに済んだため、シンディを救出することが出来た。
 しかし、当然の如く、園長たちはまたあのようなことが起こるのではないかと恐れていた。
「私達は子供達の安全を守る義務があるんです。もし、あのようなことが起これば、シンディだけでなくほかの子供達の身の安全が脅かされるかもしれないんですよ」
「だから、要はおれにもう来るな、関わるなってことだろ?」
 微妙に回りくどい園長に、リアの方から話の確信を切り出した。途端に園長はぐっと唇をかみ締め、押し黙ってしまう。しかし、母親・娘ともリアの言葉に明らかに同調していた。
「まあ、園長センセの信念も分かるが、こっちにも約束があるんだよ。シンディを見守ってくれってのが、あれの母親の遺言でね」
 リアは再び飴を手に取り、袋を破りながら飄々とした口振りで喋り続ける。
「この孤児院のスポンサーはおれだしな。あんまり邪険にされると泣いちまうぞ。それと忘れんなよ。お前ら親子には大きな貸しがある」
 悪意を煮詰めたような笑みを浮かべ、リアは娘の方に顔を向ける。そして、「古傷の方は
大丈夫か?」と問いかけた。途端に娘の顔が怒りと憎悪で歪み、悔しそうに奥歯を噛んだ。
 娘は整った容姿をしていたが、右側のこめかみから頬まで走る大きな古傷がその美しさを大きく損なわせていた。
 彼女に傷を負わせたのは娘の父親、園長から見れば夫だった男だ。
 典型的な暴力男で、いつも園長に暴力をふるい、ろくに働きもせずに家で暴れていた。園長も被害が自分に及んでいるうちはまだ我慢していたのだが、娘にまで手を出し、あげくに一生消えない傷を残した時に彼女は決意を固めたのだ。すなわち、夫の殺害を。
 そうしてリアはこの親子から依頼を受け、速やかに彼女達の望み通りに仕事を遂行した。
 恐怖の日々に終わりを告げた園長と娘は、リアの援助を受けて孤児院を建て、子供達の面倒を見ながらつつましく暮らしている。
 彼女達がリアに強く出られないのは、この平穏な生活がリアによってもたらされたものであり、またこの男の機嫌しだいでそれを終わらせることが出来る事を分かっていたからだ。
「じゃあ、もう話は終わりでいいか? シンディを待たせてる」
 彼女達の弱みを突きつけ、牽制をすると、リアは席を立ち上がる。園長たちはまだ何かを言いたそうな目をしていたが、結局黙ったまま、リアが出て行くのを見ているだけだった。





「ねぇ、おじちゃん」
「ん? どうした?」
 シンディの元へ戻ったリアは、彼女とボードゲームに興じていた。
「私のお父さんってどういう人だったの?」
 手持ちの駒を進めながら、シンディがリアに尋ねる。そういえば、母親については時折話すことがあったが、父親についてはまったくなかったなとリアは思い起こす。
 どういうも何も父親はリア自身なのだから話して聞かせることなどないのだが、シンディはリアが父親だとは知らない。リアは少しの間考え、口を開いた。
「そーだな。そんな大きな会社でもないとこに勤める、それなりの地位についたそれなりの能力をもつ、お人よしのどこにでもいるビジネスマンだったな」
 かつて、シンディの母親が理想の父親像を語った時の内容をそのままシンディに伝えてやる。
 全く持って実際の父親とかけ離れた人物と分かっていて語る辺り、自分に負けず劣らずの性格の悪い女だよなとリアは思わず苦笑した。
 そういえば、シンディは母親と容姿が瓜二つなのだが、似るのは顔だけにしとけよとリアが親として願を娘に密かにかけた。
「ふーん。何か普通の人だったんだね」
 何も知らないシンディはほんの少しだけ残念そうな感じを滲ませ、そう呟いた。シンディに限らず、会ったことない人物への理想は高くなりがちだ。
「そう言うなよ。おれらがいう普通は世界規模で見ればそうとう恵まれてるもんさ」
「そうなんだ。でも、死んじゃったんだよね。お父さんもお母さんも」
 顔を伏せ、ポツリと呟かれた言葉は静かなのに、やけにはっきりと聞こえた。
「寂しいか?」
 リアの問いに、ルーレットを回しながら、シンディが首を横に振る。
「ううん。園長先生やお姉ちゃんは優しいし、お友達もたくさんいるもん。それにおじちゃんも会いに来てくれるしね」
 嘘偽りない無邪気な笑顔でシンディは答えた。リアは「そうか、それはよかった」とシンディも頭を撫でてやる。
「おじちゃん、今度はいつ来れる?」
「そーだな、仕事が暇なときにな。今度は帽子持ってきてやるよ」
「プレゼントより、もっと来て欲しいんだけどな」
 子供の素直な本音を突きつけられ、リアは思わず苦笑した。
「あー。そこはまあ、大人の都合だ。許せ」
 今度来る時には、お菓子もセットで付けてやるからと言いながら、リアは自分の駒をゴールのマスへと置いた。