何でも屋と猟奇殺人鬼

 コツコツと革靴の音を響かせながら、男は上機嫌に鼻歌を鳴らす。時おり、地面から湿った粘着質な音が聞こえたが、男は気にも止めず、汚れた手でドアノブを握った。
 その際、茶のドアノブが朱に染まったが、それにも気を払うことなく、勢いよくドアを開け放つ。

「よう、リア! 来てやったぜ」
 満面の笑みを浮かべ、男は猫なで声を出し、部屋の奥の机に腰掛けている人物に声をかけてやる。
「呼んでねえよ」
 笑顔の男とは対照的にリアと呼ばれた人物は顔を顰め、目を通していた書類を机に置いた。
 右手を男に向って、二三度振る。いわゆる出ていけという意思表示だ。
 しかし、男はリアの態度とは反対にニヤけ顔のまま彼に近づいた。
「何だよ。仕事でなきゃ来ちゃいけないの?」
「仕事関係でも出来る限り、お前とは直接顔を合わしたくねえがな、ディアス」
 わざとらしく頬を膨らませて、机に座ろうとするディアスに対し、リアは立ち上がってそれを阻止する。
 机の上は乱雑と物が置かれ、とても綺麗とは言えないのだが、突然呼びもしない来訪者にさらに汚されるのは何となく嫌だったのだ。
「何でよー、おれのどこに不満があるのさ」
 ずいっと接近し、ディアスはさりげなくリアの腰に手を回そうとする。リアは呆れ顔でその不埒な腕を叩き落とすと、ディアスの胸元に人差し指を突きつけた。
「不満じゃない点の方が探すの難しいけどな。まず、一つあげるなら、せめて着替えてから来やがれ」
 ディアスの着ているシャツの地の色は白だったが、元の色が見えている部分の方が少ないぐらい汚れていた。
 シャツに触れているリアの人差し指はじっとりと濡れ、赤く染まっている。その赤色の正体が何かなど言われたくたって分かる。
 人間の血液だ。
「あー、これね。悪かったな、部屋をあっちこっち汚して」
 自分の悲惨な状態になっている服に目を通し、頭をがしがしと掻きながら、ディアスは一応謝罪する素振りを見せた。
 彼の言うとおり、床にはあっちこっちに血痕や血の足跡が付いていた。どうやら、靴の裏にも血が付いているらしい。
 リアがディアスの来訪を嫌がったのには、この後の掃除が面倒という理由もあったが、もっと重要な事案があった。
「そうじゃねえよ。馬鹿」
 リアは窓から外の様子を伺う。今のところ、異常は見られない。
「人の趣味に口を出す気はないが、おれの近辺で不必要な人殺しをやるんじゃねえっつの」
 ディアスに付いた血液がいまだ乾いてないことからして、彼が哀れな犠牲者を手にかけたのはつい先ほどのことである。
 当然、リアが拠点にしているこの建物のすぐ近くでの凶行だ。
 別にディアスが何人殺そうが、リアには関係ない。問題は彼が明らかにいま人を殺してきましたというような格好でこの場所まで来たことだった。
 この部屋にも赤い足跡が付いているということは、犯行現場からここまでの血の道しるべがご丁寧にも出来ているということである。
 さて、それにあまり賢いとは言えない地元警察が気づくのはいつになるやら。
 警察上層部とはそれなりにパイプ持っているから、誤魔化すことは出来なくもないし、いざとなったら、ここを捨てても問題はない。
 しかし、面倒なことをわざわざやりたくもないというのがリアの本音だった。自分の楽しみに関わることなら喜んでやるのだが。
「だって、可愛い子ちゃんがいたんだもの。我慢できなくて。あっ、リアがおれに構ってくれるんなら、少しは自重するけど?」
「お前みたいな悪趣味相手にするぐらいなら、10人ほど生贄用意するわ。おれの管理下の元でヤッてもらった方が処理が楽だし」
 性懲りもなくリアに抱きつこうとしてくるディアスを押しのけ、再び書類を手に取った。
 ファン・ディアスは殺し屋である。腕はいい。しかし、彼は依頼以外でもたびたび人を手に掛ける快楽殺人鬼でもあった。
 老若男女、一目見て気に入れば、哀れなその生贄はさんざんディアスによって玩ばれ、肉塊とかす。
 リアも正確には把握してないが(そもそも余り興味がない)、おそらく仕事で殺した人数より趣味で殺した数の方が圧倒的に多いだろう。
 ターゲット以外には手を出さない、もう一人の顔なじみの殺し屋――シエル・ボーネットとは対極にいる人物だった。
「悪趣味って。人の事言えねえだろリア。お前の趣味もなかなかのもんだぜ」
「人の趣味と比べたところで、悪趣味は悪趣味でしかねえんだよ。残念ながらな」
 リアは煙草を手にとると、口に咥えて火をつけた。ディアスが一本分けてくれないかと言ってきたので、煙草の箱ごと投げてくれてやる。
「つか、お前。本当に遊びに来ただけかよ。なら、帰れ」
「ひでえ! まだ10分も経ってないのに」
「お前にとっては他愛もない10分なんだろうが、おれにとっては貴重な時間を潰してるんだよ。次の仕事の準備があるんだっての」
 ディアスの目の前で見せ付けるようにして、紙をヒラヒラさせる。ディアスは紙に目を近づけ、それを凝視した後、にかっと笑った。
「それが次の仕事? おれが手伝ってやろうか?」
「断わる」
 せっかくの申し出を1秒かかずに拒否したリアに、ディアスはわざとらしく肩を落とす。
「何だよー。殺しじゃなくってもそこそこやれるぜおれ」
「殺しでも出来ればお前は使いたくない」
「ちょっ! 何でさ!」
「今までのてめえの所業を一から思い出してみやがれ。後始末面倒なんだぞ。余計なことばっかしやがって」
 ファン・ディアスは優秀な殺し屋ではあったが、簡単な依頼でもターゲット以外の余計な殺しをやったり、豪快に物を破壊したりと、事を大きくしてしまうので非常に使いづらい人物だった。
 だから、リアもよっぽど困難な依頼かつシエルが使えない時ぐらいしかディアスを使わない事にしている。
「だってよー。地味にこそこそやるの性に合わねえんだもん。どうせなら楽しくやりたしねー」
「派手好きの目立ちたがり屋って、殺し屋としてはわりと致命的だよな」
 裏に生きる人間として致命的な甘さを持っているシエルといい、何故自分の周りにいる殺し屋はこう問題児ばっかりなのかと、リアは煙草の煙を吐き出しながら考えていた。
 リアもリアで問題ありだと言われそうだが、自分は仕事に支障をきたさない範囲で上手くやっているというのが、彼の主張だ。
「ま、それでも上手くやれてるからいいんだよ。それよりさ、その仕事の期限はまだあるんだろ? ひと段落ついたら外にデートでも行こうぜ」
「残念だが、先約がある」
 リアは目線を部屋の隅に移した。釣られてディアスもそちらを見る。そこそこの大きさのティディベアが可愛らしく鎮座していた。
 もちろん、リアの趣味ではない。
 間違いなく誰かへのプレゼントであろう。それが誰へのものなのかもディアスは検討ついた。
「おっ、娘に会いに行くのか。 あの子名前なんてったけ?」
 やけに目をきらきらと輝かせ、楽しいそうに聞いてくるディアスを無視し、リアはティディベアを抱かかえた。
「そういうわけでお前に構ってる暇ねえから。帰ったら?」
「写真で見ただけだけど、可愛い子だよなー。目がくりくりしてお前にはあまり似てないけど。リアに似てても可愛かったと思うぜ。あっ、でも目の色はリアそっくりだったな」
 ディアスはディアスでリアを無視し、勝手にべらべら話し続ける。よくもまあ、次から次へとくだらないことばっか喋り続けられるなと自分を棚上げして、リアは心底呆れた。「なあ、リア。せっかくだからおれも娘のところへ連れてって……」
 ディアスが言い終わる前に、がちゃと撃鉄を起こす音が響いた。ディアスの顎に銃口を押し付け、リアはニッと微笑む。ただし、アイスグレーの瞳はまったく笑っていなかった。
「別に何もしねえよ。ただ仲良くなりたいだけだって……」
「だれが猟奇殺人犯を好き好んで娘のところに連れて行くか」
「いやー、娘思いだねえ。娘が人質に取られたら見捨てると公言してるくせに」
「人質に取られた後はどうしようもねえが、その前に阻止するのは当然するだろ。つか、親としてはおれに対する営利誘拐より、てめえのような変態のがタチ悪い」
「変態とはひでえなあ。人の事言えねえだろ。親として立派な人物でもないくせにー」
「悪者が親になっちゃいけないっつー法律はないんで」
 リアはさらに引き金に人差し指をかけ、ディアスを無言で威圧する。そろそろ引いた方がいいかなとディアスは両手を上げ、降参の意を示した。
「分かったよー。大人しく帰りますー」
「最初からそうしろってんだ」
 リアは銃を下ろすと、煙草を灰皿に押し付けた。そして、椅子の背もたれにかけてあったスーツの上着を羽織ると、ドアへと向う。
「でもまー、いつか娘紹介してよ。リア」
「死体としてなら考えてやるよ。 外が騒がしくならねえうちにさっさと出ていくこったな」
 ディアスの方を振り向きもせず、リアはさっさと部屋を出ていってしまった。ばたんという音がなり、ディアスは一人取り残される。

(娘とシエル。どっちに手を出したら、リアはより怒るだろうな)

 口元を吊り上げ、そんなことを考えながら、ディアスはリアから貰った煙草に火をつけた