殺し屋と何でも屋と娘の話 2

小さな波止場。漆黒の海に映る外灯の光が、さざ波で不安定に揺れ動いている。そんな物静かな空間に、やたらこつこつと響く革靴の音。闇と同化しそうな色のスーツを身に纏い、右手に大きなアタッシュケースを持った男が姿を現した。
 男の登場に、どこから沸いて出たのか地面に映るいくつもの黒い人型の影。どれもこれも揃って人相の悪い、屈強な体つきをした男たちがスーツの男を取り囲む。
 どれほど寛容な視点で見ても、まっとうな道を歩いていないであろう者たちが、凄みをきかせた目で睨めつけてくる。常人なら一気に肌を青白くさせ、悲鳴を漏らすぐらいの迫力だったが、物恐ろしい程のプレッシャーを掛けられている当人は、しれっとした顔を一切崩さなかった。
 何故なら彼も男たちと同じ、いやもしかしたらそれ以上の悪党だったからだ。
「出迎え、ご苦労様」
 表情と声色だけは愛想よく、白々しいねぎらいの言葉を掛ける。明らかな揶揄だが、男たちに気分を害した様子はなく、無言で皆同じ方向にゆっくりと歩き出す。後について来いということらしい。監視と案内役といったところか。
 男達に引き連れられ、目的の場所へと向かう。
「おいおい、もうちょっとゆっくり歩いてくれねぇか。こっちは重い荷物持ってんだぜ。何なら、誰かこれ持ってくれよ」
 これみよがしにアタッシュケースを持ち上げ、男たちに言う。しかし、男たちからは相変わらず反応はない。どうも今日は乗りの悪い人間に縁のある日らしかった。
 とある地点で一斉に男たちが足を止めた。目の前には巨大な倉庫らしき建物。ほかの似たような建物とは違い、この倉庫だけ窓からぼんやりとした明かりが見える。入口には新たな男が二人、仁王立ちしていた。服の上からでも分かる鍛えられた身体と肩に掛けられた短機関銃。おそらく、この場所の見張りを任されている者たちだ。
 普通の波止場には相応しくない男たち。辺りを包む物々しいオーラは、どこにでもある倉庫をそびえ立つ要塞のように見せていた。
 入口にいた男に、倉庫にやって来た男たちの一人が話しかける。話が終わった後、見張りをしていた男が無線を取り出し、どこかへ連絡を取った。そして、扉の取っ手に指をかける。錆び付いた音を立て、扉が開く。空いた隙間からひんやりとした流れ出た空気がひんやりと身体を撫でた。
 さて、招かれたからには行かなければなと、臆することなくスーツの男は倉庫の中に足を踏み入れた。

 中はコンテナや荷物がひしめき合っていて、建物の大きさのわりには狭く感じた。まるで迷路のようになっている通路を、数人の男の案内により進む。スーツの男は今のなお男たちに囲まれ、非常に警戒されている。間違いなく全員銃を所持しているのだろうし、こんな大人数で一人の人間を恐れる必要はないだろうに。そうスーツの男は心中で嘲ったが、まあよく言えば慎重で用心深いということなのだろう。
(はてさて、どうなることやら)
 スーツのポケットから煙草を取り出し、口に咥える。歩きながら、イムコのオイルライターで煙草に火を付けていると、やがて少し開けた場所へと出た。
 スーツの男と共にいる者たちの倍はいるであろう、武装した男たちの殺気立った視線がが、一斉にこちらの方へ集まる。
 右端の壁に近い場所には嫌でも目を引く、この空間には明らかに不釣り合いなテーブルと四方を囲む革張りのソファがあった。
「ようこそ。初めまして、何でも屋」
 スーツの男から見て真正面のソファに座っていた男が、落ちつき払った、しかしどこか傲慢さを含んだ声で話しかける。長身でやや細身。骸骨を思わせるようなこけた頬に、細いつり上がった目の神経質そうな顔立ち。立ち振る舞いから見て、この集団のリーダー的存在のようだ。
「おれがレブナントのボス『ベルノント・カロッサ』だ。以後、お見知りおきを」
 自己紹介を済ませると、ベルノントがスーツの男に手招きし、こちらに来るように指示する。
 スーツの男はそれに素直に従い、テーブルの方へと近寄った。
「よう、久しぶりだなリア。まったく変わってなくてびっくりしたぜ」
 ベルノントの右側に立っていた男が、俗っぽいにやけ面をスーツの男に向ける。安っぽい煽りに、スーツの男――リア・キリングスは邪の含んだ微笑で返した。
「お前もまったく変わってないぜ、グレッグ。その間抜け面はな」
 電話の時と同じように、皮肉には皮肉で返すやり取りをグレッグと交わし、リアは二人の元へたどり着いた。
 ソファに座る前にざっと辺りを観察する。中にいる人数はベルノント・グレッグ含め、数十名。外には入口にいた二人の他にも数名の見張りがいると推測される。テーブルには無線機。これで外部と連絡を取り合い、万が一の事態に備えているのだろう。出口はリアが入ってきた所とその正反対にある位置に二箇所。
 わざわざ、椅子やテーブルを今日のため用意したとも考えづらいので、ここは日常的に裏の商品の取引に使っている場所だと検討づけた。
 あらかたの情報を頭の隅にメモし、交渉の席に着こうとする。だが、そこで一旦リアの動きが止まった。
 右側のソファに仰向けに寝かされている小柄な身体。固く目を閉ざされた幼い顔立ちに、緩くウェーブのかかったハニーブラウンの髪。間違いなくリアの娘シンディだ。
 身動ぎ一つしないが、微かに上下する胸の動きが生きていることを知らしめている。
「安心しろ。騒がれると手間なんで、薬で眠らせてるだけだ。それ以外は全く何もしちゃいねぇ」
 シンディを注視するリアに、グレッグが説明を入れる。確かに見える範囲ではシンディに傷はないようだ。
「娘の安否を確認したところで、交渉開始と行こうか何でも屋」
 テーブルに肘をつき両手を組んだ体勢で、傲然とベルノントが言い放つ。実質、それは圧倒的優越的立場から下す命令であった。
 リアはふっと小さく笑うと、アタッシュケースを乱暴にテーブルに放り投げ、ソファに腰を下ろす。
 留め具を外し、ケースを開ける。中にあったのは大量に詰め込まれた書類だった。
「今時これかよ。普通はデータとして持ってこないか?」
「下手にお前らにUSBメモリやその辺渡すと、後の流失が怖いからな。一応機密情報なんだぜ。本来なら弱小組織には手に余る代物だ」
 一昔前の目を通すのも管理も面倒な媒体を持ち出してきた相手に、ベルノントは多少苦笑いを浮かべる。それに対し、リアの方はいつなんどきも変わらぬ人を食った言動を見せた。
「意外と時代錯誤な手段のが安全だったりするしな。紙ならマッチ一本ありゃすぐこの世から消せる。それにカモフラージュとは言え、せっかく揃えた印刷機械使ってやらなきゃ、あいつらも可哀想だろ」
 書類を何枚か掴み、ひらひらと上下に動かす。まさしく紙のような軽さで饒舌にベラベラ喋る男に緊迫感も何もあったものじゃない。むしろ、この状況を楽しんでいるようにすら見えた。
 そのあまりのふてぶてしさに、怒りを通り越して呆れを抱いたベルノントは後ろにいるグレッグと顔を見合わせる。グレッグの表情が「こういう奴なんだ」と物語っていた。
「お前、よくそれで今まで生きてこれたな。面と向かって話してるだけで、眉間に風穴開けたくなる奴はそうはいないぜ」
「ああ、よく言われるなそれ。日頃の行いがいいおかげで、神様に愛されてのかもな」
 まさにああ言えばこう言うを体現しているリアに、とうとうベルノントは二の句が告げなくなった。
 間違いなく劣勢な立場に置かれているのに、どこまでもこの男は自分というものを曲げることをしない。
 だが、そのふざけた振る舞いは、幾多の修羅場を経験しているからこそ出来るものだ。
思ったとおり、一筋縄ではいかない相手だというのは、これまでのやり取りで嫌という程実感した。
「いつか、その神様に裏切られなければいいがな。さて、そろそろそれをこっちによこして貰おうか」
 このまま無駄話をしていても、相手のペースに巻き込まれるだけ。そう判断したベルノントはリアから書類を受け取り、情報の確認に努めることにした。
 顔写真付きの数枚の書類。潜入捜査官や警察の協力者たちのものだ。そこには本名や住所・家族構成などを含めた個人情報が詳細に記載してあった。他の文書には標的になっている組織、麻薬一斉取り締まりの計画などの捜査状況の資料などもある。ざっと目を通したところ、危惧した通り、レブナントも撲滅の対象に入っていた。
「へえ、腕は確かなようだ。さすが、裏で名を馳せる天下の何でも屋だけのことはある」
「お褒めに預かり、どーも」
 機密中の機密に違いないこれだけの情報を一朝一夕で集めるなんて離れ技、普通の悪党では無理だ。警察はもちろんとして、さらにその上に立つ存在とも強力なコネクションを持つ、何でも屋という特殊な立場にいる男だからこそ出来る芸当だった。
 その能力の高さにはベルノントも素直に感服する。一方で何でも屋の方は相変わらず敵のど真ん中にいるとは思えないほど、悠々自適に紫煙をくゆらせていた。
「これほど優秀なら、今後も是非協力願いたいものだな」
 これまで一貫して紳士的かつ理知的に対応していたが、その発言と共にリアに向けた表情には餌を前にヨダレを垂れ流す獣のような隠しきれない醜悪さが表れていた。
 結局、どんなに気取ってようが、所詮下衆は下衆ということだ。
「今後もねぇ……」
 向こうの要求に従った後、レブナントがリアとシンディの処遇をどうするかはある意味で一種の見所であった。そして、ベルノントの言葉で彼の方針をだいたい察っする。
 シンディを盾にすることで、リアを自分の傘下に取り入れようということなのだろう。一度誘拐したという事実は、そのまま次も同じことをやりうるという威嚇になる。
 考えられる中で最も浅はかな道を取ったなというのが、率直な感想だった。まさか、これで己に首輪を付けて飼い慣らしたつもりでいるのだろうか。だとしたら、愚かにも程がある。
 弱みを握られた人間がそのままでいるわけがないことぐらいは、レブナント側も承知しているだろう。問題はそのリスクがどれだけ高いのか、把握しているかということ。
 結局、ベルノントはリア・キリングスという人間をあまりに過小評価しすぎているのだ。多少は付き合いがあったはずのグレッグも同様に。
 この認識の甘さが、組織が弱小で留まっている所以だろう。そして、今後成り上がることもないとリアは結論づけた。
「それにしても酷い奴だなぁ、お前」
 話があらかた済んだところで、グレッグが横槍を入れる。その目線はリアからシンディへと移っていた。
「娘がこんな目に合ってるっていうのに、まったく平気って顔しやがって。昔から思ってたが、悪魔みたいな男だよ本当に」
 その嘲りにリアは特に応じず、書類をアタッシュケースに仕舞い、蓋を閉じる。そして、短くなった煙草を口から離した。白い煙がゆらゆらと昇り、空中で拡散する。
 澱んだ川のような空気が辺りを包みこむ中、その小さな異変は突如起こった。
 遠くから微かに聞こえるノイズ。それは時とともにだんだんと大きくなっていく。
「何だ……?」
 ベルノントがほんの少しだけ動揺を滲ませた声を出した。不審な音の正体はすぐに分かった。あの特徴的な響きは、バイクのマフラー音だ。そして、バイクは確実にこちらに近づいていた。
 しかし、外には複数の見張りがいる。バイクに乗った者の正体や目的が何であれ、こちらのテリトリー内に入れば、途端にこの世から別れを告げることとなる。
 しかも、音の感じからして、バイクは一台のようだった。恐れることは何もないはずだ。ただ、その雑音が静まるどころか、さらに煩くなっているのがどうしても気にかかった。もう、かなりこちらに接近している。
 一抹の不安を覚えたベルノントが無線機を手に取り、一番遠くに配置している見張りに連絡を入れた。
 だが、いくら呼びかけても一向に返答がなかった。部下がボスの無線を無視するなんて有り得ない。考えられるのは一つ。向こうが通信出来ない状況下に陥っているということ。
 ベルノントの顔に焦りと怖気の色がじわりと浮かぶ。
「まあ、確かに悪魔かもしれねぇな」
 余裕ぶったボスとしての仮面が剥がれ始めたベルノントを、安穏と観察していたリアが持っていた煙草をテーブルに押し付け、唐突に口を出す。
 両腕を広げてソファの背もたれの上に置き、テーブルの縁に片足を乗せた状態でベルノント達に向けた笑みは、今まで以上に邪悪めいたものだった。
「ただし、お前らにとってのだが。そして……」
 リアがちらりと後ろの方を見やる。自身が入ってきた入口がある方向だ。
「今から来るのは死神だ」
 一気に針を刺すような緊迫感と不穏な雰囲気が場を支配した。バイクは刻々とこちらへ向かってくる。
 ベルノント、グレッグ及び傍にいた部下の一人が、一斉にリアに剣呑とした視線を向けたのと、入口にいた見張りから無線が入ったのはほぼ同時の出来事だった。
 ベルノントが慌てて無線機を取る。
「どうした!」
「ボス、向こうから何かが来ます!!」
 受信機越しに聞こえた切羽詰まった部下の声こそが、とうとうその男がここへやって来たという合図だった。


 入口にいた二人の男の視界は、確かに猛スピードでこちらにやってくる黒い塊を捉えていた。
 塊は徐々にその姿を現していく。外灯に照らされたのは、黒い大型バイクに乗った、これまた全身黒づくめの男。ロングコートと髪を風に靡かせ、倉庫へと向かって疾走する。その切れ長の鋭い翡翠色の目が入口にいる見張りの姿を確認すると、左手で腰のホルスターから使い慣れた銃――ベレッタM92を引き抜く。バイクを走らせたまま、銃口を標的に合わせた。

「何もんだテメエ!! 止まれ!」
 見張りの一人がボスと連絡を取っている間、もう一人の男が短機関銃を構えて威嚇する。だが、バイクが停止する気配は微塵もない。それどこか速度をさらに上げて、こちらへと突っ走ってくる。
 警告を無視したからには死あるのみ。射程圏内に入ってきたら、命知らずな侵入者に鉛玉の嵐を食らわせるつもりで引き金に指を掛ける。だが、その次の瞬間だった。
 男の眉間に小さな風穴が開く。その巨体が大きな反動で跳ね飛び、後ろの壁に激突した。血と脳症を撒き散らし、壁が赤黒く染まる。その後、脱力した身体は壁をずり落ちていった。
「は……?」
 さっきまで共にいた男の死体を目の前にし、もう一人の見張りが呆けた声を出す。あまりに一瞬の出来事に情報処理が追いつかず、ボスに応答することさえ頭から抜け落ちていた。
 (馬鹿な、あんな距離からどうやって!?)
 仲間を狙撃した時、バイクはかなり後方にいた。あの距離から発砲したところで、通常ならまずターゲットに当てることすら困難だ。しかも、相手はバイクを運転したまま、正確に頭を撃ち抜いてみせた。
 有り得ない――それが彼の最後の思考となった。右こめかみに強い衝撃を受けた感覚と同時に男の意識は途切れた。

 入口の見張り二人を片付けた男はさらにバイクを加速させ、そのまま一直線に少しばかり開いていた入口の隙間から倉庫の中へと侵入した。
「テメエ!!」
 騒ぎを聞きつけたベルノントの部下の一人が、バイクに銃を向ける。だが、バイクの男は至極冷静にベレッタの引き金を引いた。死神が振り下ろす鎌と同じように、弾丸は哀れな男の命を奪う。
 男が地面に倒れたのと前後して、複数の足音が倉庫に響き渡った。
「こっちだっ。撃てぇ!!」
 五人の男が駆けつけ、一斉にサブマシンガンを構えた。それを見てバイクの男は後方に体重を掛けるのと同時にアクセルを開き、バイクを急加速させて前輪を浮かす。そして、バイクは床に転がっている死体をジャンプ台代わりにして、空中に飛び出した。
 宙を舞ったバイクは鮮やかに男たちを飛び越える。さながら映画のアクションシーンを彷彿させる動きに彼らが虚を突かれた隙を付き、華麗に着地した男はバイクをギリギリまで傾け、急ターンさせた。けたたましい騒音が空気を震わせる。車輪の一部が地面に接触し、バイクが火花と白煙を上げる中、男は銃を立て続けに撃った。誰一人外すことなく、銃弾は的確に急所を打ちぬく。ベレッタから硝煙が昇り、空になった薬莢が音を立て地面に落ちる頃には、男たちは地獄へと落ちていった。
 床一面が赤い海とかし、むせ返るような血の匂いが否が応でも鼻につく。
 全員が息絶えたのを確認した後、一旦立ち止まる。ごろごろと転がる幾多の下には目もくれず、ベレッタのマガジンを素早く取り替え、再びバイクを走らせた。
 
 怒声、銃声、バイクの騒音。倉庫内に響き渡る不協和音が、異常事態が起こったことを如実に知らしめていた。
 バイクの男の正体は分からない。だが、今このタイミング現れたという事は、確実に誰かの手引きによるものだ。その誰かは問わずとも、すぐに検討つく。
 用意された脚本は当の昔に破り捨てられ、この舞台の監督の座を奪い取った男が新たな物語を作り始めたのだ。
「何でも屋、貴様ぁ!!」
 怒り狂ったベルノントが立ち上がり、リアに銃をつきつける。グレッグと傍にいた部下も同じように銃を向けた。
 上から殺意の視線を浴び、いつトリガーが引かれるか分からない状況に晒されても、リアは何も変わらない。ただ、無機質な金属を思わせるグレーの瞳で見上げるだけだ。
 鬼気迫る緊迫状態の中、もう一人重要なキャストがこの場に姿を現した。
 唸るエンジン音。リアの後方に見える黒いバイク。死神が敵の本丸に乗り込んできたのだ。部下の一人がバイクに目掛けてマシンガンを掃射したが、男が倉庫の柱の後ろへ上手く回り込んだために、一発も当たらない。一直線の上に無数の穴が開いたコンクリートの柱の影から再びバイクが姿を現し、一発の銃声が鳴ったのと同時に、マシンガンを撃った男は地面に倒れ、その身体から流れ出た血が床を汚していた。
 ベルノントたちの注意が一斉にバイクの男に向く。己の警戒が一瞬薄らいだのを逃さず、シンディの方を見やり、リアがゆっくりと口を開いた。
「そいつに手を出すのは勝手だ。だが、覚えとけ。それはお前らの命を天秤にする覚悟がいるという事をな」
 今までのふざけた感じが全く消えた、淡々とした口調。しかし、血をも凍らせる冷酷さと静かな殺意がそこには篭められていた。
 こうしている間にも、部下の数はバイクの男に減らされていく。袋小路に追い詰められていく感覚に、銃口をリアから固定したまま、ベルノントはキツく唇を噛み締めた。
「Verrecke!」
 リアがその言葉を吐き捨てた瞬間、倉庫に騒音に紛れて遠くで花火が上がったのに似た音がした。そして、突如電灯が一斉に消える。
「なっ!?」
 闇に包まれた倉庫内。突然の事に、ベルノントを始めとしたレブナントの者たちは狼狽る。
 運の悪いことに分厚い雲が月を覆っていて、中は真っ暗になってしまっていた。暗さに慣れていない目は近くにいる仲間の姿を確認することすら難しく、この状態で闇雲に銃を撃てば、同士撃ちになってしまう危険性がある。これでは応戦はおろか、下手に動くことすらままならない。
 ところが条件は同じはずのバイクの男はこの状況を苦にしていないようだった。この暗闇の中、バイクを走らせ、着実に敵を葬っていく。止むことのない銃声。短い断末魔がまた一人、彼の餌食になったことを告げる。
 場が混乱をきたす中、リアはスーツの中に手を入れ、隠し持っていた望遠鏡に似た形状の機械を取り出した。それを素早く頭部に装着すると、シンディの元へ移動する。そして、娘の身体を抱き抱えた。
「この野郎!」
 物音でリアの動きに気づき、ベルノントの近くにいた部下が銃を構える。しかし、それが災いした。
 部下の男が親子を狙っている光景が、バイクの男の目に入る。その行動を阻止するため、部下の男に狙いを定め、銃撃する。その正確無比な射撃で放たれた銃弾は、目標となった男の頭部を見事に捉えた。
 貫通した弾は、地面に崩れ落ちた男のすぐ後ろにいたベルノントにも襲いかかり、右頬の肉と骨を削り、耳の上半分を吹き飛ばす。衝撃でドッと音を立て、大きな体躯がソファの上に倒れ込んだ。その恐ろしい光景に、傍にいたグレッグが「ひっ」と引きつった悲鳴を上げ、腰を抜かす。
 この千載一遇の好機を逃さず、リアはシンディを抱えたままテーブルから離れる。柱の後ろへ身を隠すと、そっと腰を下ろした。
 物陰から暗視スコープ越しに様子を伺う。レブナントの面子の大半はすでにバイクの男によって片付けられ、残っているのは片手で数えられるほどしかいない。
 まさに悪夢としか言いようがないバイクの男の凶行は、残った者の戦闘意欲を根こそぎ奪い去るには十分すぎた。
 ボスすら見捨て、すっかり数少なくなった部下たちが逃げ去り、リアやバイクの男が使ったのとは反対側、距離が近い方の出口へと向かう。バイクの男がそれを見逃さずに跡を追うのを確認した後、リアはテーブルの方へと視線を移した。
 顔右半分を血で真っ赤に染めたベルノントがゆらりと立ち上げる。激痛に耐えながら、テーブルに置いたままになっていたアタッシュケースを手探りで探し出し、それを手に取った。ケースを持ち上げた途端、腕に感じるずっしりとした重量。中身とケース自体の重量を考えても、それは異常な重さだった。冷静な時なら、すぐに違和感に気づけたのだろう。だが、この危機的状況かつ重傷を負った精神状態ではそんな些細なことまで気を回せる余裕などなかった。結果として、それが大きな命取りとなった。
 やはり受けた傷によるダメージのせいか、よろめきながらベルノントは逃亡を謀る。グレッグも急いで後に続いた。
 その姿を見たリアがポケットから取り出したのは、小型のスイッチらしきもの。ベルノントがあと少しで出口にたどり着こうかという所でボタンを押した。
 アタッシュケースが暗がりの中、眩い光を発する。そして、耳をつんざくような爆音が辺りに木霊し、炎と強い爆風が放射線状に倉庫内を暴れまわった。それが収まると、あれだけ騒がしかった室内が水を差したような静寂に包まれた。
 もくもくと充満する黒煙。火薬と肉が焼け焦げた匂いが嗅覚を刺激する。爆発の中心地にゆっくりとバイクの男が近づいた。
 見下ろした先にあったのは焼け焦げた地面に横たわっている男の両脚。アタッシュケースを運んでいた者だろうと、バイクの男は推測した。足の近くに元はアタッシュケースだっただろう破片と元の形が判別出来ない肉片が散らばっているというのもあったが、男がそう考えたのは地面に落ちていた脚には腰から上が存在していなかったからだった。
 レブナントのボスの成れの果てを眺めていたバイクの男の耳に、ふと小さな呻き声を入る。男はバイクをその場に停め、声の方へと足を運んだ。
 4m程離れた場所に別の男が倒れている。その左半身は焼け焦げ、左腕は肘から先がない。だが、辛うじて息があるというのは、意味を成さない痛みに苦しむうなり声で分かった。
 ベルノントと共に逃げていたグレッグ・ハウザーだったのだが、それをバイクの男が知る由もない。
 何の感慨も抱かない醒めた目でグレッグを眺めた後、一発の銃声で彼を永遠に黙らせる。これでもう、倉庫内で生きている人間は殆どいなくなった。残っているのはバイクの男とそして――。
 男は再びバイクを走らせた。

 向かった先は柱の影。そこにいたのは黒スーツの男と彼の腕の中にいる幼い少女。
「ご苦労さん」
 リアがバイクの男――シエルに向かって声を掛けた。
「何人か外へ逃げた」
 出口の方に顔を向け、シエルが事務的な口調でそう告げる。
「ああ、気にすんな。そっちの始末は別の奴が片付ける」
 報告を聞いたリアはそう言うと、シンディと共にバイクに近寄った。
「さて、車がある所まで送っていってくれねぇか。ここまで派手にやらかしたんだ。早いとこ出ていかないと面倒なことになる。それに今は寝てるが、どう考えてもこの景色はシンディの教育上よろしくないからな」
 周りを見渡せば、ごみのように散らばっている死体の数々。自分でやった事とは言え、胸糞悪い光景の中に子供がいるという事実にシエルは顔を顰めた。
 まだシンディは眠ったままだ。あの惨状を目にすることはなかったのは良かったが、あれだけの騒ぎが起こったというのに、依然として目を覚ます気配がない。無慈悲に敵を始末していた殺し屋の目に、少女を慈しむ人の情が宿る。
「レブナントの奴ら、どうも薬の量を多めに投与したらしい」
 心配そうにシンディを見るシエルに、リアが己の見解を示した。
「ちゃんと目覚めるのか?」
 冷静を装おうとしても、隠しきれない不安が見え隠れする声。
「こればっかりは神に祈るしかねぇな」
 いつも通り、事も無げにリアは言う。ただ、そこにシエルを煽るような響きはなかった。


 父娘を後ろに乗せ、シエルはバイクを倉庫から1km離れた場所へと走らせる。そして、銀色の古い小型のワンボックスカーの傍で停車した。
「ご苦労さん」
 地面に降りると、リアは徐にシエルの方へと近づく。まだ何か用があるのかという顔のシエルの目の前に、腕に抱かれたシンディを唐突に突き出した。
 その行動にシエルが訝しげに首を傾げる。
「ちょっと電話してくるんで、こいつ預かっててくれ」
「は?」
 いきなり何を言い出すんだと目を丸くする相手に構うことなく、リアは強引にシンディを手渡した。
 押し付けられたシエルは、慌てて彼女を抱き抱える。
「じゃ、頼んだぞ」
「おい、ちょっと待て!」
 珍しく焦った様子で呼び止める声を無視し、そのままリアはすたすたとどこかへ行ってしまう。後にはどうしていいのやら分からず途方にくれる殺し屋と、小さな眠り姫だけが残された。


 あちらに声が聞こえないだろうと思われるくらいの距離を取ると、スーツの胸ポケットから携帯を取り出し、番号を押す。
 コール音が鳴る間、リアは倉庫から400M程離れた小高い丘に目をやった。あの丘は倉庫が一望できる上、双方の間に障害物が何もないという条件を兼ね備えた場所だ。
「そっちの仕事は片付いたか?」
 電話が繋がると、開口一番に事の首尾を訪ねた。相手は当たり前だと言わんばかりの自身に満ちた声で「もちろん」と答える。
 ならば倉庫の外、出口のすぐ傍には新たな死体が転がっていることだろう。それはシエルの襲撃から逃れたレブナントの部下たちだった。きっと、命からがら脱出して助かったと思ったのも束の間、何が起こったのか分からぬまま死んでいったに違いない。ライフルのスコープを覗く目はけして彼らを見逃すことはなかった。死神はシエルだけでなく、丘の上にもいたのだ。
「流石だな。恩に着るぜ」
 礼を述べると、「どういたしまして」と気さくな返事が返ってきた。だがその後、「でも……」という言葉と共に向こうの苦笑がケータイ越しに伝わってきた。
 鉄塔を爆破したのはやりすぎじゃないのか?
 そう続いた言葉に、リアはしたり顔を見せた。
「ま、後処理は今回いろいろとご尽力頂いた警察の方々がやってくれるだろ。それだけの貸しはあるしな」
 倉庫で起こったあの停電はこの電話相手が起こしたものだった。アタッシュケースには爆弾と共に盗聴器も仕掛けられており、それを使ってリアとレブナント達の会話を盗み聞きていたのだ。そして、ある単語が口に出されたと同時に、鉄塔に仕掛けられた爆弾の起爆スイッチを押す手筈となっていたのだった。
「ん? 他に残った残党の始末? ああ、それはまた別の奴に任させてある。こっちはすぐに終わると思うぜ」
 レブナントには、倉庫には行かずにアジトの方で待機していた人間が若干いた。ベルノントの用心深い行動から考えると、腕のある精鋭の多くは倉庫の方へ集めていたはずなので、今やレブナントには残りカスのような生き残りしかいない。
 そっちに当たらせた殺し屋はシエルやディアスに比べると腕は劣るが、その分忠実である。問題なく、己の仕事を全うしてくれることだろう。
 ほぼ壊滅状態となった組織に、そこまでして止めを刺したのは一種の見せしめだった。何でも屋を見くびり、安易に噛み付けば破滅に繋がると。
 リア・キリングスという人間は容赦しない時はとことん容赦しないし、どこまでも残酷だ。通話相手がそれはお気の毒に同情めいた台詞を言ったが、その口振りは非常に乾いたものだった。
 リアの人となりは彼もそれなりに知っている。だからこそ一つ、どうしても気にかかる事があった。
 先ほどまでの明るかったトーンが低くなり、冷厳さが伴った声で彼はリアにこう疑問を呈した。
――お前ほどの人間が本当に娘が狙われていたことに気づかなかったのか。もしかして、全て分かっていた上で、彼らにわざと誘拐させたんじゃないか?
 ほんの一瞬だけ、沈黙が降りた。
「はっ、まさか。わざわざ自分を追い詰めるような真似をする奴がどこにいる」
 くだらないとばかりに、リアは鼻で笑い飛ばす。それを聞いて信じたのかどうかは分からないが、向こうは「そうか」とだけ言った。
 それから少しばかり話したのち、通話を終えたリアは携帯を再びスーツのポケットにしまった。そして、丘に背を向け、再び車の方へと歩き出す。
(たまには嵐でも起こらないと穏やかな晴ればかりじゃつまらねぇだろう。それが偶然であれ、故意であれな)
 その口元は、雲の切れ間から覗いた三日月と同じような形に歪んでいた。

 一方、シンディを押し付けられたシエルはすっかり困り果て、リアが戻って着るのをただ待っていた。
 悪戯に過ぎる時間を持て余し、ふと横抱きにしている少女の顔を覗き込む。父親には似てないなという感想を持った。おそらく母親似なのだろう。陽の下を無邪気に遊ぶ姿が似合う、そんな普通の子供だった。
 本人の口から聞いていても、この子にリアの血が流れているという事実をいまだ真に受け入れることができなかった。
「う、ん……」
 複雑な思いでシンディを見つめていると、突如小さな身体が身じろぐ。やがて、固く閉じられていた瞼がゆっくりと開かれた。
 瞼の下から現れたつぶらな瞳に、シエルははっとする。その色は見覚えのある銀灰色。そこには確かにあの男の面影が存在していた。
「だれ……?」
 目覚めたシンディはまだ意識がはっきりしていないのか、ぼんやりとシエルを眺めていたが、やがて目を大きく見開いた。見知らぬ男を目の前にして、顔に怯えの色が走る。
「あ、いやっ……嫌ぁ!!」
 身体を小刻みに震わせ、突然暴れだすシンディ。彼女を地面に落とさないようにしっかりと抱きかかえ、シエルが咄嗟に叫んだ。
「落ち着け、大丈夫だっ!」
 大声にシンディはビクつき、一旦動きを止めた。
「大丈夫……。お前を怖がらせる者はもういないから」
「本当に……?」
 その言葉に恐る恐るシンディは、男をまじまじと見やった。自分を攫った凶悪な男たちとは全く違う、穏やかで優しい翡翠色の瞳。子供心に綺麗だと感じた。
「ああ、本当だ。だからもう怯えなくていい」
 そう言って、シエルは微かに柔らかい笑みを見せる。孤児院の園長先生やお姉ちゃんがいつも自分に向けるのと同じ顔だ。恐怖で凍りついた心がシエルの放つ温かい雰囲気で溶かされ、安心した幼い少女はほっと息をつく。ようやく落ち着いた彼女を、シエルはそっと地面に降ろしてやった。
「お兄ちゃんが助けてくれたの?」
 子供らしい笑顔を取り戻したシンディが、シエルを見上げて問いかける。事実だけ見るなら、シンディの言う通りではある。だが、それに頷くことはどうしても躊躇われた。自分のやったことはただの殺しに過ぎない。所詮、自らの手で屍と変えたあの連中と同じ人種なのだ。
 どう答えるべきか迷っていると、ようやく戻ってきたらしい男の靴音が響いた。
「ようやくお目覚めのようだな、シンディ」
 聴き慣れた大好きな声。馴染み深い黒スーツを目にし、シンディの顔がとても嬉しそうに輝く。
「おじちゃん!!」
 一目散にリアの方へと駆け寄り、その腰に抱きついた。
「怪我はないか?」
 やんわりと娘の頭を撫でながらそう聞くと、シンディは力一杯頷いた。
「うん、大丈夫。怖かったけど、平気だよ」
「そうか。それは良かった」
 すっかり元気になったシンディの様子に、リアは口元を綻ばせる。普段、裏社会の人間として見せるものとは違う、人間味が感じられる面差しだった。
 そんな親子の姿に、シエルは何とも形容しがたい違和感を抱く。
 シンディに接するリアには確かに情めいたものを感じた。だが、この娘が誘拐されたこと自分に告げた時のふざけた言動が尾を引いているのか、それとも元々持っているこの男への悪感情のせいか。それを父親としての愛情としてみるには、あまりにも繊細なガラス細工のように脆くて危ういものだと思えてならなかった。
 リア・キリングスという男は、どこまでも雲のように掴みどころがない。複雑なそうに眺めるシエルをよそに、リアとシンディはまだ話を続けているようだった。
 「絶対おじちゃんが助けに来てくれるって思ってたよ。だから怖くても、私泣かなかったっ」
「へぇ、頑張ったなシンディ。偉いじゃないか。……おっ、そうだ」
 褒められて嬉しそうなシンディの視線をリアは指を差し、その先にいるシエルに向けさせる。
「あいつはシエルって言って、おれの知り合いなんだ。今回、お前を助けるのにとても協力して貰ったから、ちゃんと礼を言っておけよ」
「うん、分かった!」
 そう言われたシンディは、急いでシエルの元へと駆け寄った。
「シエルお兄ちゃんっ」
 息を弾ませ、シンディはシエルにはにかむ。
「やっぱりお兄ちゃんも私を助けてくれたんだ。ありがとう!」
 無邪気に礼を言うシンディ。簡単に心を開き許せる、子供特有の純粋さは夜でも眩さを失わない。当の昔にシエルがなくしたものを彼女は持っていた。一点の曇りのない瞳で見つめられ、居た堪れなさを感じ、顔を背ける。
 自分はこんな風に感謝されるのにも、好意を向けられるのにも値されない人間だ。倉庫で起こった出来事を、己がした事を、彼女が見ずに済んだことにシエルは安堵していた。
「シンディ、そろそろ帰るぞ。これ以上待たせると園長センセたちが心配しすぎてぶっ倒れちまうからな」
 二人の元へ戻ってきたリアがそう声をかけ、車の後部座席のドアを開ける。
「さっき乗ってろ」
 促されたシンディは、シエルから離れ車へ向かった。
「またね、シエルお兄ちゃん! さようなら」
 ドアを締める前に、シンディが手を振って叫んだ。バタンという物音がし、彼女が車に乗ったのを確認すると、リアはシエルの方を振り向く。
「さて、これでお前の仕事は完了だ。報酬はまた後日」
「……リア」
 端的にそれだけを告げ、車に乗り込もうとするリアをシエルが呼び止めた。車内にいる人物に聞こえないよう、声を落とす。
「あの子の……母親は?」
 口にしてしまってから、すぐにシエルは余計なことを聞いてしまったという顔をした。だが、相手は構わずあっさりと答えた。
「孤児院にいるってことから分かるように、当の昔に死んじまってるよ。あいつが生まれてそう経たないうちにな」
 それを聞いて、やはり言うべきではなかった後悔した。いらない詮索をしてどうしようというのか。
 黙り込んでしまったシエルに、もう用はないと判断したらしい。リアはさっさと車の運転席に乗りこみ、扉を閉めた。
 キーを差し込み、エンジンを始動させる。バックミラー越しに後部座席を見ると、シンディが右側のサイドドアのガラス越しに顔をくっつけ、外を覗いていた。リアも一瞬だけ同じ方向に顔を向ける。目に入ったのは走りさっていくバイク。
「もう遅いから、孤児院につくまで寝てていいぞ」
 すでにバイクは見えなくなってしまったにも関わらず、まだ窓から顔を離さないシンディに言う。
「ずっと寝てたから、全然眠くないよ」
「それもそうだな」と笑いながら、リアは再度窓の外を見た。

――これの母親を殺したのは、何を隠そうお前なんだぜシエル――
 
 殺し屋の顔を脳裏に描き、リアは車を発進させた。