自称ライバルと悪友の話

 ランチタイムには少し遅い時間。小洒落たトラットリアの前に長身細身の男が一人。端正な顔の眉間には皺がより、片足は不定期なリズムで地面を叩いている。明らかに不機嫌そうな様子の男は先ほどから何度も時計を確認していた。どうやら誰かと待ち合わせしている最中のようだ。そして、その誰かは一向に来る気配がなかった。
 約束の時刻からはもうすでに三十分は経過している。昔から何かとややルーズな人物であったとは言え、こうも待たされると流石にいらついてくる。待ち人が美人な女性だったならまだ男も許せたが、残念ながらその相手は女性ですらなかった。
「ちくしょうっ。リオの奴、何やってんだよ。携帯にかけてもまったく繋がらないし!」
 いい加減待ちくたびれて焦れてきたのか、男は一人愚痴を零す。そんな彼の背後にゆらりと近づく黒い影。
 影の主はひっそりと音を立てず、そっと距離を詰める。しかし、男がその存在に気づくことはなく。そして……
「よう、テオ! 待たせたなっ」
「うわぁあああ!!」
 突如、肩に手を置かれ、大声で話しかけられた男は、盛大に驚いて身体を大きく跳ねさせ……そして、段差から足を踏み外した
 べしゃりと大きな音を立て、男―テオドロ・リッツァーニの姿が消える。その一連の光景を見ていた元凶はありゃまといった様子で頬を指で掻いていた。
「おーい、大丈夫かー? んなにびっくりすることねぇだろうに。で、映画顔負けに転ばなくても」
 うつ伏せに地面に倒れ込んでいるテオドロに近寄り、様子を伺う。心配そうな声にも関わらず、男の表情はどことなくニヤついていた。
「煩い、お前のせいだろ。こんちくしょう……」
 顔をゆっくり上げ、テオドロがぼそりと呟く。若干、涙目になったその目は恨みがましい視線を相手にぶつけていた。





「だーかーら、悪かったって何度も謝っただろ。いい加減、機嫌直せって」
 頬杖をつき、男がテオドロに謝罪をする。しかし、向かい側の席に座っている当の本人は腕組みをし、ムスっとしたままだった。
「服汚れるし、肘擦りむいて痛いし、ちっとも謝ってる態度じゃないし……というか、テーブルに肘をつくな、行儀悪いぞ!」
「へいへい。分かりましたよ」
 テオドロの小言を受け流しながら、それでも男は言われた通りにテーブルから腕を下ろす。いいとこの坊ちゃんだけあって食事のマナーにはやたらうるさいと内心苦笑した。
「だいだい毎回言ってるが、遅れるなら連絡しろよ。こっちから何度電話かけたと思ってるんだ」
「あー、わりぃ。なんか携帯の充電切れてたみたいでよ」
「お前なぁ……」
 あまりにもあっけらかんと言い放った男にテオドロは一気に脱力する。もう、怒ることすら疲れてきた。
「もういい。何か馬鹿らしくなった……」
「そうそう。無駄に怒ったって人生楽しくないぜ。人間気楽に生きるのが一番さ」
 男は一切の悪気なくにかっと笑う。いっそ清々しいまでのマイペースさに、テオドロは深いため息をついた。
「毎日気楽そうに生きられて、お前が心底羨ましいよ」
「だろー。お前もそんな渋い顔をしてないで、おれを見習えって」
「嫌味だ、馬鹿っ」
 もうこれ以上何を言っても相手には通じないらしい。まったくこいつはいつもこうだと、テオドロは苦虫を噛み砕いた顔を見せた。

 どこまでも人をおちょくるような態度を見せるこの男――リオ・J・カルダーウッドはテオドロの大学時代からの知り合いで、今現在はフリーのルポライターをやっている、世間一般的に言うところの友人にあたるのであろう存在だ。
 特に女にはモテるが男には反感を買いやすいテオドロにとっては、ほぼ唯一と言っていい同性の親しい人物である。ただ、リオを友達だというのは何か癪に触るので、人に彼を紹介するときはかたくなに知人という言葉を使っていたのだが。
 何故かといえば、友人というにはあまりにもリオのテオドロへの態度がひど過ぎるからである。

「いやー、それにしてもせっかくの休日に男二人でランチは侘しいねぇ。あれ? そういや、お前この前から付き合ってた彼女どうした?」
 ニヤニヤしながら、白々しく訪ねてくるリオにテオドロは眉を顰めた。
「……別れたの、知ってて言ってるだろ」
「ああ、そうだったな。それも最短三日で二股バレた上、二人ともに振られたんでした。どうせ不器用なんだから、せめて同時交際はやめとけ。いつか刺されるぞ」
「煩いな! 余計なお世話だこんちくしょう!」
 拗ねたようにふくれっ面をする男とそれを面白がって笑う男。これが二人のいつもの構図だった。
 とにかく、リオはいろいろな手段でテオドロをからかいたがる。テオドロがムキになって反応を返してしまうので、ますます悪乗りしてしまうのだ。
 リオの悪癖にはテオドロもほとほと困っていた。なら、なぜそんな人物と付き合いを持っているのかと言われれば、先ほど言ったように友達が他にいないことに尽きる。
 あと、常日頃女性トラブルを起こすテオドロが、刺されるまでとはいかなくても、嫉妬や何やらで男に絡まれているのを何だかんだ言っても助けてくれるからという面もあった。
 一応、リオも友達として気にかけてくれたりしているのだ、多分。

「お待たせしました」
 そうこうしているうちにウェイターが料理を持って現れる。ウェイターは手際よくテーブルに皿やグラスを並べると一礼して去っていった。
「お、やっと来た」
 目の前に並べられた料理にリオは目を輝かせ、さっそく食欲をそそるような音を奏でるステーキにナイフを入れる。
 しかし、テオドロの方はというと何故か料理には手を付けず、リオが恐ろしいスピードで皿を空にしているのを呆然と眺めているだけだった。向こうもそれに気づき、不思議そうな目で見やる。
「ん? 食わねえの? 腹でも壊したか?」
「いやさ、リオ。お前、朝食食べてこなかったのか?」
 唐突な質問にリオは首を捻る。
「普通に食ったけど。何で?」
「何でって。どう見たって多すぎるだろうその量!」
 リオの前に並べてあった料理はカプレーゼ三皿、魚介類のシチュー一皿、サラダ一皿、ステーキが二皿、リゾット二皿、ラザーニャ二皿、カルツォーネ二皿、モッツァレラ二皿、ジェラード二皿と、とにかく種類も多いが量も多い。テーブル一杯に並べられた皿は最早テオドロの方まで侵食していた。
「えー? これぐらい普通だぜ。いつもは食費を抑えるために我慢してるけど、たまには腹満たさないとな」
 何の疑問も持たず、リオはあっけらかんと言い放つ。その様にテオドロはあんぐりと口を開ける。
 昔から大食いなのは知っていたがここまでだったとはと、十年近くの付き合いでまた新たに特に必要のない事を知った。
「なんか、見てるこっちの方が胃もたれしてくる……」
 実際に食欲がやや減少したテオドロは、口元を抑える仕草を見せる。そレに対し、リオは少しばかり不服そうな顔をした。
「おれから言わせりゃ、お前が食わなすぎなんだよ」
 リオの指摘に今度はテオドロがえっ?という反応を見せた。
「別に普通だろ?」
 そう言いながら、自分がオーダーした料理に視線を落とす。カフェオレとクロワッサンとサラダとデザートのティラミス……のみ。メインディッシュとは何だったのかと言わんばかりのラインナップだ。
 しかし、先ほどリオと同じく当人はこれが普通だと思っているようだった。
「いや、ねぇよ。どこのダイエット中の女子だお前は。だから、そんなにひょろいんだよ」
「べ、別にひょろくなんかないぞ。というか、関係ないだろそれは」
 微妙にコンプレックスを突かれ、慌てたようにテオドロが叫ぶ。
「筋肉は食と運動から出来るんだぜ。お前、どっちも駄目じゃん。あと、普通の女に腕相撲であっさり負ける男はどう考えてもひょろいと思う」
 だが、リオが至極冷静にテオドロの主張を論破した。
「うぅ……。もう個人の勝手でいいだろ、食事の量なんて!」
 自分から言い出したくせに、勝手に話を切り上げ、テオドロはカップを手に取る。その時、左手首の辺りが光を反射してキラリと光ったのが、リオの目に留まった。
「あれ、お前、時計変えたのか?」
 彼がつけていた腕時計はリオが前見たものとは違ったものだった。恐らくワニ革だろうベルトにプラチナ製のケース。いくつもの宝石と歯車の細工があしらわれた文字盤は、いかにもお高いですよといった感じを醸し出している。これ一つだけで高級車の一台は余裕で買えるのではないか。
 腕時計などそれなりに頑丈で時刻さえ分かれば何でもいいが持論のリオにとっては、あまり理解の出来ない代物だ。
 だが、指摘されたテオドロは、ふふんと鼻を鳴らしどことなく得意げであった。
「ああ、これか? この前見たら、サルヴァトーレの奴が時計変えてたからな」
 テオドロの口から出された名に、リオは途端に嫌そうな顔をした。
「……それでお前も買い換えたと?」
「ああ、同じブランドのサルヴァトーレよりも高いやつを」
 ということは、わざわざ相手のしている時計を調べてまで、特に必要のない馬鹿高い買い物をしたわけだこの男は。うわぁと心底呆れた視線をテオドロに送った。
「その無駄な執念が心の底から純粋に気持ちわりぃ……」
「何でだよ!」
 率直な意見に、テオドロが心外だと言わんばかりにテーブルを両手で叩く。がしゃんと悲鳴を上げた食器たちを横目で見ながら、リオはやれやれと肩を竦めた。

 やたらとテオドロが口にするサルヴァトーレという人物はリオもいろいろと聞かされる以前から多少は知っていた
 母国のみならず、世界でも知られた財閥の御曹司で大会社の社長。文武両道で容姿端麗。ここまでよく揃えたなというぐらい何もかも恵まれた男だ。イタリアでは大抵の人間に彼の顔と名前が知れ渡っている。
 そんなサルヴァトーレはテオドロの遠縁の親戚にあたり、また彼の永遠のライバルらしかった。ただし、ライバルと言っているのは彼だけで、向こうがそう思っているのかはかなり怪しいところだったが。
 そういうわけでテオドロはサルヴァトーレに並々ならぬ対抗心を持ち、事あるごとに張り合ってきた。さらに何かと周囲の人間に対し、サルヴァトーレについて熱く語る。
 リオの実感では、テオドロの話の一割が今付き合っている女のこと、三割が家族の愚痴、残り全てがサルヴァトーレについてであった。
 しかも気に入らないとか気取っているとかやたらと敵視した発言をする割に、さっきの時計の件から分かる通り、やたらとサルヴァトーレに関しては仕事に活かせと突っ込みたくなるぐらいの鋭い観察力と素早い情報察知能力を持っていた。
 下手なファンより熱狂的なアンチの方がその対象にやたら詳しいってやつだろうかと、毎度ヒートアップするテオドロのサルヴァトーレトークを聞いて常々思う。
 しかし、あまりにも頻繁にサルヴァトーレの話をするために、リオもかなりうんざりしていた。その話題が出た途端、大食漢であるリオが胸焼けを感じるまでなっていた程には。
 けれど、こちらを巻き込まなければ、サルヴァトーレに対してライバル心を燃やそうが、負けじと行動しようが、テオドロの勝手だとは承知している。
 しかし、リオにはどうにも引っかかることが一つあった。

「けど、気をつけろよ、テオ」
 今までとは打って変わり、神妙な面持ちでテオドロをじっと見据える。
「何が?」
 何のことか分からないテオドロは首を傾げた。
「そのサルヴァトーレさんな、嫌な噂がいつも付いてまわってんだ。例えば、あいつにとって邪魔な奴は皆消されてるってな」
「は……?」
 リオの言葉にテオドロはぽかんと表情でリオを見た。何言ってるんだお前はという空気がひしひしと伝わってきたが、まあそれも無理からぬことだろう。
 社会的に成功した人間には、黒い噂の一つや二つ流れるものだ。だが、大抵は妬みや恨みによる事実無根のホラ話だったりする。だから、リオもサルヴァトーレのその手の情報を聞いたところで特に気に留めていなかった。
 興味本位でサルヴァトーレのことを調べていた同じルポライターの知り合いが行方不明になるまでは。
 もちろん、ルポライターの失踪とサルヴァトーレとを即結びつけることなどできない。何の根拠も証拠もないのだから。ただ、リオの中で嫌な印象と不安の種が植えつけられたことは確かだった。
「リオ……。お前、ルポライターの癖にそんな根も葉もない情報に流されるなよ」
 しかし、リオの心配をよそにテオドロはどこか不機嫌そうな表情を見せた。
「サルヴァトーレの悪い噂は聞いたことがあるさ。確かにあいつは性悪で高慢チキだし、
無駄に顔も顔もいいし、何でもそつなくこなしやがるし、人望もある、すっごいムカつく男だけどよ。そう言う事をする男じゃない。どうせ、奴をやっかんだ奴が悪評流したんだろ」
 相手に口を挟む隙を与えないくらいにテオドロは早口で熱弁する。最初は悪口だったのに、最後の方はただの絶賛にしかなってない様に、リオは呆れを通り越してある種の感銘さえ受けていた。
 どうやら、認識を改めなくてはいけないらしい。
「お前さぁ……実はサルヴァトーレのこと大好きだろ」
 こいつはただのサルヴァトーレの熱狂的大ファンだと。