追憶

「ナオちゃん、まいちゃん、大福で作っとるよ。手を洗ってきんさい。おやつじゃよ」
 小麦色に焼けた麦藁帽をかぶった男の子と女の子を、割烹着姿の初老の女性が優しい笑顔で出迎える。ナオとまいは祖母の言葉を聞いて、ぱっと笑顔を輝かせる。二人とも彼女が作った大福が大好物だった。
「やった! ばあちゃんの作った大福ぶち大好きじゃ。な、まいちゃん」
「うん、私も大好き」
 子供たちが互いに喜ぶ姿に、祖母もまた嬉しそうに微笑んだ。
「今日の収穫はどうじゃった?」
 ナオの首にかけられた虫かごを見て問いかける。夏を象徴する騒がしい鳴き声が耳に届く。口を開くより先に見せた、得意げな顔が答えを物語っていた。
「おう、ばっちりじゃけぇ。いっぱいじゃ!」
「でも、取りすぎだよナオちゃん。セミさんたちが窮屈そう」
 どちらかと言えば、虫が得意ではないまいは対象的に苦笑いを浮かべる。その言葉通り、虫かごは沢山のセミでぎゅうぎゅう詰めになっていた。
「後で逃がしてやりんさいね」
 そう言われ、ナオはせっかく取ったのにと言わんばかりに若干不服そうな表情を浮かべる。
「セミさんはこの夏しか生きられんけぇ。大空を飛ばしてやらんと可哀想じゃろ」
 だが、祖母に諭され、ナオはこくりと頷いた。祖母はいい子だとその頭を優しく撫でてやった。
「さ、ナオちゃん手洗おう!」
 マイが靴を脱ぎ、室内に上がるとナオの手を引っ張る。
「うん!」
早く家に入ろうとして、宙に靴が舞う。当然、その後祖母からの行儀が悪いと苦言が飛んだ。

 冷たい麦茶を積まれたガラスのコップが暑さで滴を垂らすなか、扇風機の風に当たりながら子供たちは美味しそうに大福を頬張っていた。
「あーあ、明日には東京に帰っちゃうのか。もうちょっといたかったなー」
 まいが残念そうにつぶやく。夏休みの終わりまであと一週間。明日には両親が迎えにくることになっていた。
「まいちゃん帰っちゃうとつまらんのう……。おれも帰りたくない、ずっとここに居たい」
 大福の餅を口で限界まで伸ばしていたナオが、途端に憂鬱そうになる。彼の方は夏休みぎりぎりまでここにいる予定だったが、今から帰る日が嫌でならなかった。
「ナオちゃん。そがぁなこと言わんの。お父さんもお母さんもナオちゃん居らんと寂しいじゃろ?」
 祖母が窘めるが、ナオはふて腐れたような顔をするだけだった。
「二人ともおれが居らん方が愉しそうじゃ」
 小さな声で吐かれた言葉は、子供らしからぬ重みを持っていた。即座にそんな事はないと返したが、内心では否定しきれなかったのだ。
 尚道の父親である自分の息子も、その妻である尚道の母親も己しか愛していない、自分勝手な人種であることを祖母は知っていた。
 血と法律上でしか繋がっていない家族。それが尚道の家庭の実態であった。だが、そんな事をこの幼子に言えるわけがない。例え、この子が薄々感じ取っているにしても。
「そがぁなことないよ」と口にするしかなかった。
「私もナオちゃんと離れちゃうのつまんないな。ずっと一緒にいたい」
 と、ここでまいがぽつりと呟いた言葉に、即座に尚道が彼女の方に勢いよく顔を向けた。
その頬は朱に染まっている
「そ、そうじゃな。おれもまいちゃんとずっと一緒に居りたい……」
 先ほど前の憂鬱そうな顔はどこへやら。恥ずかしそうな嬉しそうな表情で下を向き、ぼそぼそと喋る尚道を、祖母は微笑ましそうに見やる。
「本当、嬉しい! そうだ、いいこと思いついちゃった。今は無理だけど、大人になったら私たち結婚しようよ。そしたらいつも一緒だよ」
「け、結婚!?」
 両手を叩いて満面の笑みでそう言うまいに、尚道が素っ頓狂な声がでる。その顔はゆでダコのように真っ赤になっていた。
そんな孫二人に祖母は耐え切れず、思わず吹き出す。
「あ、ばあちゃん。何笑っとんじゃ!」
 照れ隠しに怒鳴る尚道をまあまあとなだめながらも、まだ祖母は笑う
「ええじゃないかねえ。婆ちゃん、尚ちゃんとまいちゃんの結婚式まで長生きせにゃ」
「私、結婚式は外国でやりたい!。 ほら、去年皆で旅行いったところっ」
「おやおや、それは豪勢じゃねえ。尚ちゃん、まいちゃんのために頑張って稼いがんといけんよ」
 クスクスとしながら茶化す祖母に、恥ずかしさから頭から湯気が出そうなナオは居心地悪そうに身体を縮こませる。
「……おれ、頑張って外国で結婚式上げられるくらいのお金持ちになるけえ」
 ただし、こう、まいにだけ聞こえるようにそっと口にした。





 うっすらと目を開けると、目に入ったのは見慣れた天井。鈴木は気だるい気分でゆっくりと身体を起こす。
 (何で今更こんな夢…)
自分の人生で唯一光り輝いていた思い出。だけど、もう戻れないと分かっている今。それはただ鈴木を憂鬱な気分にさせるものでしかない。
 誰よりも大切だった人たち。でも、彼女たちはもういない。それでも世界は容赦なく回っていく。鈴木一人を置き去りにして