殺し屋と何でも屋

 うっすらと青い空が限りなく広がる清々しい快晴。柔らかな太陽の光が様々に彩られた硝子を通り、中世のゴシック建築の教会を幻想的に照らす。
 立派な絵画のモチーフになりそうな光景だが、残念ながらそれを見ることが出来ない通話相手はせっかくの情緒を吹っ飛ばすかの如く、ここ十数分の間ずっとどなり続けていた。

「ちゃんとご依頼通りにやったでしょー。何が不満なのやら。そりゃ、ちゃんと保険金が支払われるので不安なのは分かるがよ」
 9割方話を聞き流しながら、おれは携帯片手に手元の書類に目を通していた。時間もったいないしな。タイムイズマネーというが、時は金じゃ買えねえもんです。
「その事を言ってるんじゃない。娘のことだ!!」
 罵声が耳に突き刺さる。鼓膜が破れたらどうしてくれんだよ。慰謝料は金だけじゃすまねえぞまったく。
「あー、あの顔も知性も凡人で、そのくせ自己評価は無駄に高い、唯一の誇れる所といったら親が小金持ちだったつーくらいの、やたら化粧の濃くて服が派手な娘の事ね」
 適切な人間評価を下しただけなのに、ますます怒鳴り声は大きくなっていった。これでも大分オブラートに包んだ表現してるんだけどな。気を使って。
「もー。そんな怒るんなよ。で、その娘がなんだって?」
 実の所、男の怒りの理由は検討ついてるっていうか、むしろこの反応を期待していた。事が頭で描いている通りに進んでることへの満足感から、自然と鼻歌が漏れる。
 案の定、男はおれの予想通りの言葉を口にした。
「なぜ、貴様が娘と接触してるんだ!」
「いい年した娘の人付き合いに余計な詮索してやんなよ。過保護だねぇ。さすが、今日もわざわざ駅まで娘とその友達を送ってやっただけの事はある。心配すんな、単にちょっと親しくなっただけだっての」
 もちろん、娘と知り合ったのは偶然じゃないが。
「貴様みたいな子悪党が何も企んでないわけないだろう! 一体、何が目的だ!!」
「えらい言われようだな。おれが子悪党なら、保険金目当てで自分の妻を事故に見せかけて殺すよう依頼したあんたは大悪党か?」
 話し相手の男はそこそこの会社を経営していた社長だったが、近年の不況で経営が悪化、多額の借金を抱え、倒産寸前まで追い込まれていた。そこで男が考えた起死回生の策が、関係が冷え切っていた妻の保険金であり、その殺害をおれに依頼してきたとういうわけだ。何ともまあ、ありがちな話である。
 ま、その大悪党さんの言ってる内容は間違いではないけどな。
「可哀想にそのせいで母親を亡くした娘を慰めてやったんだぜ。感謝して欲しいくらいだ。彼女、不幸を分かち合う友達少ないそうだからな」
 父親同様、自身は大したことないくせに他人を見下すのがデフォな女だから、そりゃ友達できないよな。親しい親友が一人いるだけで、周りの人間には密かに嫌われ避けられてる。

 あ、そうそう、この親友の存在が今回の肝だ。

 親友は娘とは全く違ったタイプで、飛びぬけて美人ってわけじゃないが、可愛らしい顔つきをしていて、気立てがよく、オマケに努力家で頭も良く、万人から好かれる人間だった。
 高飛車で自己愛が強い娘が何でそんな人物と親しくしているかといえば、それは親友の家がいわいる貧困家庭だったことに他ならない。
 自分は高価なものを身につける一方で、質素な格好にせざる負えない親友を見下していたのだ。
 お人よしの親友にとって娘は本当の親友だったが、娘にとって彼女はただの自尊心を満たすだけの道具だった。
「あと、おれが付きまとってんじゃねーぞ。向こうがおれを気に入ってんの」
 むしろ、ベタぼれといっていい。無論、そう仕向けたわけだが。おれはわりと人の心を操ることは得意なほうだ。こと、女心に関しては。
 ただし、別におれは背も高くねえし、顔も特別いいわけじゃない(やたら若くは見られるが)。金はまあある方だけど、女を落とす一番のいい方法って、相手をまるで世界で一番価値のある人間であるかように錯覚させることじゃないかとおれは思う。
 相手の考えを常に受け入れ、相手の望む言葉を与え、相手の理想どおりの行動をする。それだけで十分だ。特にこの手の女は。
 ただ、お前の全てが正しいと思わせるだけで済むから、ちょろいなんてもんじゃないね。
思惑通り、娘はおれに夢中になった。
「べらべらと戯言を! 娘に何かしたらただじゃおかないからな!!」
「裏社会を知り尽くした人間に対し、素人に何ができるのやら。でも、安心しろよ。もうおれは何もしねえから」
 腕時計に視線を落とす。もう、そろそろかな。

 そういや、女が浮気した場合、男は女に怒りは感じるが、男の浮気の場合、女はその浮気相手の女に怒りを感じるって定説があったな。
 全てが全て適応されるじゃないが、娘の場合はがっちりと当てはまった。
 別に浮気じゃなくても、おれが親友のことをちょっといいなと言っただけで簡単にあの女は憎悪をめらめらと燃やしてくれた。
 ただでさえ、親友に勝ってるところが親の金しかなく、しかもその頃は父親の会社が傾きかけ、その唯一の優位性すら失いつつあった。
 そんななか、愛する男がだんだん親友に惹かれていく(ふりをした)。娘は焦りとともにどんどん憎しみを募らせていく。
 その憎しみが殺意に変わるまで大した時間は掛からなかった。
 同時進行でおれはもう一つ仕掛けをした。それはいわゆる何でも屋の存在(すなわち、おれのことだ)を娘に吹き込むこと。
 その何でも屋は文字通り何でもやってくれる。例えば、親友を殺すための手段を授けるとか。
 先日のことだ。おれに新たな依頼が舞い込んできた。それはある女性の殺害依頼。依頼主はもちろんあの娘だった。

「信用できるか! とにかく娘から離れろ! このクズが!!」
 男は思い付く限りの罵詈雑言浴びせてきたが、突如鳴り響いた轟音によって強制的に沈黙を余儀なくされた。それと同時にステンドグラスの激しい悲鳴が辺りに響く。
 教会の外と携帯が奏でる、人々の混乱と恐怖の叫びのハーモニーを楽しみながら、窓を見れば黒煙が青い空のキャンパスを彩り、いびつなコントラストを作っていた。
 なかなかの作品を鑑賞していると、スピーカー越しに男が必死で娘の名を何度も何度も呼ぶのが耳に入る。その声は段々小さくなっていき、完全に聞こえなくなった所でおれは電話を切った。

「やれやれ。結局脚本通りに事が運んじまったか」
 誰もいない聖堂に靴音を響かせながら、祭壇へと歩を進める。予想通り過ぎてあんまり楽しくなかったなと上着のポケットからライターを手に取り、今はもういない女の顔を頭に思い浮かべた。
しかしながら、暇つぶしにはなった。祭壇に手を置き、いかにも自分は神と同じ存在であると主張するかの如く、偉そうにたたずんでいるイエス・キリスト像に女の冥福を祈ってやる。
「主よ、今そちらに哀れな子羊が召されました」
 祭壇の上に座り、タバコに火をつけた。罰当たりな行動だが、ここの所有者はおれだし、誰も咎める奴もいないし、まあいいだろ。
「献身的なクリスチャンでしたんで、手厚い祝福をしてやってください。信じる者しか救わないんだから、それぐらいは働かねえと」
 あ、でも、あの女プロテスタントだっけ? 
 ここ、カトリックの教会だった。ま、どうでもいいや。おれ、無神論者だし。
 ふーっと息を吐き出すと、空中に煙がまい、拡散した
 白いもやのベールが消え去ったと同時に表れる黒い人影。


「足音消して近づいて来るの。やめてくれねえかな、シエル」
 スラッとした長身に恐ろしく整ったルックス。髪も長いロングコートも真っ黒。どことなく見る者に畏怖を与えるその佇まいは、感情をまったく伴わない表情とも相まって、この世の人間ではないような錯覚を覚えさせられる。
 この場所にはもっとも似つかわしくない死神であるかの如く。
 ああ、でもこの男――シエル・ボーネットは職業「殺し屋」なんで、死神でも間違ってはないのか。
 でも、冥府へ連れて行く対象は本家の死神と違ってえらく偏っているが。
「どうせ、おれが来たことは分かっていたんだろう」
 淡々とまったく抑揚のない声で死神ことシエルが返答を返した。相変わらず愛想もくそもない。
 確かにおっしゃる通り、この教会及び各国にいくつかある拠点には全部カメラやら何やら仕掛けてあって、人の出入りが常に分かるようにはしてあるけどね。当然、こいつが来たことは知ってた。
 職業柄、用心はいくらしても足りないからな。
「そうだけどよ。急に現れるとびっくりするだろ? こう見えてもおれ臆病で怖がりなの。常に命狙われてるしな」
 両腕で自分の身体を抱き、オーバーリアクションで訴えかける。悪ふざけではあるが、言ってる内容は嘘ではない。

 おれは何でも屋だから、受ける気さえあれば誰の依頼でも受ける。表を歩けない連中の仕事を請け負ったりすることもあれば、公の機関――例えば、警察関係者や果ては国の要人から依頼がくることもあるわけだ。
 そのため、様々な人脈とつながりができ、多くの情報を手に入れられるのだが、逆に言えばいろんな所から恨みを買う立場でもあった。
 おかげで、一秒たりとも命が脅かされない時間なんかない。自業自得だけど。
 まあ、そう簡単には消されないけどな。今まで生きてこられたのには、それなりの理由がある。
 その話は後に置いておくとして、おいシエル。人がせっかく懇親のジョーク飛ばしてるのに、何も言わないどころか、眉一つ動かさないのはあんまりじゃねえか?
 鼻で笑い飛ばすとかでもいいからなんか反応しろよ反応。虚しくなるだろ。まったく面白くない奴。
 お前、そんなんで人生楽しいの?
 そういや、前に似たような事聞いたことがあったな。そしたら、「おれに娯楽などいらないし、資格もない」との事だった。
 おれより十以上も若いくせに先の見えない生き方してんなあとそん時は思ったもんだ。自分で自分を追い込んでやがる。

「無駄な時間をつぶす気はない。さっさと用件を言え」
 もー、人がそれなりに心配してやってる振りしてるのに。本当につれないね、お前は。つーか、表情が一切変わらねえ。コンクリートで表情筋を固めてんのか。
しかし、そんな事言ったってこいつは無視するだけだし、あんまり待たせると神聖な教会で殺人が起こりかねないしで、お望み通りに仕事の話に入ろうと、おれは今回の件に関する資料を手に取った。


 今回の依頼内容と実行計画を事細かに説明してやる。シエルは殺し屋なので、当然、奴の仕事は暗殺だ。普通の暗殺依頼ならここまで綿密な打ち合わせは行わない。
 シエルは他の殺し屋と違い、殺す相手を限定しているという特異性を持っていた。奴が殺すのは裏社会の人間に限られ、ターゲット以外の人間には一切手を出さない。それを心情としている男である。
 あくどい事をしてる人間ってのは、自分が悪だと認識しているがゆえに用心深い。おれのようにな。ただでさえ、困難な案件になるのに、シエルがまた腕がいいものだがら、より大物を標的とした依頼が舞い込んでくる。
 だから、どうしても慎重に事を進めなければならなかった。シエルはどうなってもいいが、失敗はおれの信用に関わるし。

 しかし、あれだな。悪人だけを狙う殺し屋ってのはダークヒーローとして映画に出てきそうだ。こいつはそんなご立派な存在でもないし、小奇麗な悲劇性もないが。シエル自身もそんな風にもてはやされる事を微塵も望んじゃいないだろう。

「リア」
「あ?」
 そんな事をだらだらと考えてたら、今回のターゲットについた書かれた書類から視線を固定したまま、ここに来てから初めてシエルがおれに話しかけてきた。
 奴の方に目をやれば、纏っている雰囲気がさっきより格段に鋭くなっている。他人から見ればどこも変わってないじゃんと言われそうだが、おれはこいつとはそこそこ付き合ってるからな。多少の変化は読める。
 今のシエルは明らかに怒っていた。ロボットみたいなやつだが、喜怒哀楽の怒方面だけかろうじて残っている。けど、滅多に怒りはしない。その珍しい怒りの理由も読めている。
 おれは堪えきれず口元を釣りあげた。
「さっきの外の爆発はお前の仕業か?」
切れ長の眼が鋭くおれを射ぬく。エメラルドグリーンの瞳からは嫌悪と憤慨の色しか感じられない。
 でも、こういう時の目が一番気に入っているかも知れないな。シエルの数少ない人間らしい面がさらけ出される時だから。
「おれが爆発させたんじゃねえよ」
「だが、お前が仕組んだんだろう?」
 おーお、辺りが物凄くピリピリしてきた。なんかこの殺伐とした空気だけで切り刻まれそうな感じ。だが、楽しくてしょうがない。この緊張感を味わうことが、あんな茶番を仕組んだ理由のひとつかも知れないな。
「別にスイッチを押せって強制したわけじゃないぜ。あくまであの女の意思でやったんだ」
 親友を殺すためになとにやにや笑いを顔に張り付け、そう付け足せば、シエルの顔はますます不快そうに歪んだ。

 おれがやったのは、何でも屋としてあの女に親友殺害の手助けに手製の爆弾を渡しただけだ。
 計画としては、無類の甘いもの好きの親友に有名な店のお菓子詰めをプレゼントする。今日は親友の誕生日だったのだ。
 当然、親友は喜んでそれを受けとった。そうして、親友と別れたあと隙を見て爆破スイッチを押す手筈となっていた。そうして、あの爆発は起こったわけ。
 ただ、あの女は知らなかっただろうが、爆弾が仕掛けてあったのは親友に渡したお菓子詰めではなかった。
 爆弾はおれがあの女にプレゼントしてやったキャリーバックの中にあったのだ。親友を殺害したのち、計画ではその足でほとぼりがさめるまで長期旅行に出る予定であった。当然、恋人(とあの女は思ってる)から貰ったバックを持ってきているだろうと半ば確信あった。
 その状況で爆破スイッチを押したらどうなるか、あとは言わなくたってわかるだろう。

「だから、あれは自業自得だよ。親友を殺そうとさえしなければ、死ぬこともなかったんだ」
 喉奥で笑いながら、べらべらと得意げに奴に語った後、短くなった煙草を聖壇に押し付けようとする。が、腕をシエルに掴まれ阻止された。
 そして、そのまま腕をねじ上げられる。イテテ、イテェよ。この馬鹿力!
「人の人生を持て遊ぶのがそんなに楽しいか」
 ぎりぎりと手首を掴む力が増していく。マジで骨が折れそうなんだけど、振り払うことは出来そうになかった。
 どっちかといえば頭脳で勝負するタイプだが、喧嘩も人並み以上には強いんだぜおれ。でも、あくまで人間の中ではって程度なので、その枠を越えるデタラメな奴に対抗するのは無理無理。
「随分と今更な愚問だな。楽しいに決まってるからやるんだろ?」
 ゲーム盤の上の人という駒を自分の用意したゴールへと導く。それがおれの娯楽だった。
 実際のゲームとは違い、手駒は意思のある人間だ。当然、自分の思ったとおりには動かない。時には予想も付かない結末になることもある。だからこそ、止められない、最高の暇つぶしであり、おれの生きがいだ。
 けど、人には理解されないどころか、物凄いゴミを見るような目で見られるけどな、今、目の前にいる奴のように(そもそも理解されようとも思わないが)
 シエルは眉間に深い皺を刻むと、腕を放し、おれの胸倉を掴みあげた。
「お前は神かなんかのつもりなのか! 何の権限があってっ」
 今にもおれを抹殺しかねないような表情でシエルが叫ぶ。しかし、その言葉を聞いた途端、教会中におれの高笑いが木霊した。
「そんな人間に都合のいい存在とおれを一緒にするなよ。おれは別にゲームの支配者を気取ってるつもりはないぜ」
 おれ自身も駒に過ぎないってことだ。ミスれば盤上から消されるそれだけのこと。誰かが一方的に世を支配できるわけでも、自分だけが常に他人を利用しているわけでもない。
 全ては持ちつもたれつ。相互作用だ。その中でどう上手くやるかなんだよ。
 どうせ、この道を選んだ時点で、長生きもろくな死に方もできねえんだ。だから、最後まで好き勝手やってやるさ。
 けどなあ、一般人に言われるならともかく、お前に責められるのはちょっと腹が立つぞシエル。
「それとお前こそ何様のつもりだよ。おれに説教できる立場なのか?」
 そう揶揄ってやれば、シエルがぐっと唇を噛む。そのまま、何か思案するようにじっとおれを見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「おれもお前も最悪最低なクズに過ぎないさ。どっちがマシだとかそんな事は言わない」
 そう、ぽつりと呟いたかと思えば、シエルはおれから手を離し、ゆっくりとキリスト像を見あげた。その姿はまるで己の罪に対し、赦しを請うかのようにも見えた。
 実際、望んで殺し屋になったわけじゃないお前の人生は後悔と罪悪感しかないんだろうがな。おれと違って。
 イエス様に懺悔し終えたらしいシエルは、再びおれを真っ直ぐ見据える。おれの姿を映す翡翠の瞳は今まで以上におれに対する嫌悪感で満ちていた。
「だが、お前とは決して一緒にはされたくない」
 静かな声だが力強い響きを持って吐き出された言葉におれは繭を顰める。

 そう来ましたか。いや、言われなくともね、おれだってお前と一緒にはされたくねえよ。お前みたいな自己矛盾の塊みてえな奴とはな。
 少なくともおれはこの世で誰よりも自分自身が嫌いなくせに、己で己を始末できない甘ちゃんじゃねえ。
 このまま、死んだんじゃ何もならないから、せめて悪が悪を減らすことで善良な人間が不条理に泣くのを一人でも減らしたい? 一般人を血で汚したくないからそいつらに殺されることを望んでる?
 お前のやってる事は罪滅ぼしじゃなく、ただの自傷行為な自己満足だろ。
 死ぬほど虫唾が走るね。お前の考え方も生き方も。
 あー、でも、多分同じことをシエル以外の奴がやってても、おれはここまでむかつかないんだろうな。せいぜい馬鹿な奴と鼻で笑う程度だ。
 そして、シエルがおれと同じような人間であったとしても、おれはこいつに不快感を抱くんだろう。
 結局、おれはシエル・ボーネットという人間が嫌いなのだ。心の底から。今すぐにでも殺してやりたいほどに。
 スーツの裏に隠してあった拳銃を素早く抜き取り、銃口をシエルに向ける。そして迷うことなく、ひき金に手をかけた。

「……っ!」

 響いたのは銃声ではなく、カンっと床に何かが叩きつけられるような音。それと同時におれの右腕が跳ね上がった。激痛が右手を襲い、左手で咄嗟に痛めた箇所を掴む。
 シエルは一切の動揺も躊躇も見せず、氷よりも冷たい眼差しをこちらに向けながら、先ほどのおれのように銃を構えている。
 いまだに痛みを訴える右手をさすりながら、床に目を落とすとおれが持っていた銃が落ちていた。
 あの一瞬でシエルはおれの右手を狙って回し蹴りを食らわせ、銃を叩き落したのだ。上半身は動くそぶりすら見えてなかったんだぜ?
 まったくもって、やることが人間じゃねぇ。
「まじでちっとも可愛くねえな。お前」
 威嚇はしても、相手に撃つ気はないことを知っているおれは、自分の銃を拾い上げると懐にしまう。
 それを見て、シエルも銃を下ろした。

 おれは何でも屋だ。こうやってシエルとともに仕事をすることもあれば、依頼内容によっては敵対することも当然ある。
 こいつと殺し合ったことなんざ、一度や二度じゃない。こうやって、お互いに生きていることからも分かるように、シエルの抹殺に成功したことは当然なかった。
 まあ、腕利きの刺客が束になってこいつを幾度となく消そうとしてきても、そのつど返り討ちにしてきた化け物だ。
 依頼のついでに殺そうとしようとするのが、土台無理な話ってことだろう。
 シエルを本気で殺るつもりなら、おれの命どころか存在まるごとチップにして、人生最大の勝負に挑まなければななきゃだめだ。
 その際、だたで殺す気なんか微塵もない。考え付く限りの苦痛と絶望を与え、楽しんで楽しんで楽しんで、絞りカスすら残らないぐらいに全てを奪いつくす。
 多分、その時には人生最大の幸福感に酔いしれてるんだろうな。
 たが、まだそれを実行にするには早い。
 まだまだ、楽しいことはこの世に一杯ある。おれがシエルを殺すのは全てに飽きて、退屈で死にそうになった時だ。
 人生の集大成のために、最大の楽しみは最後まで取っておく。

「何かごちゃごちゃやってたら、腹減ったな。飯食いに行かねえか? ついでに残りの打ち合わせもしようぜ」

 だからさあ、シエル。そん時までつまんねえ死に方すんなよ。